第242話:青の真珠
2030年1月5日 モロッコ・シャウエン
――まるで、海の中にいるみたいだ。
モロッコ北部の都市・シャウエンに一歩足を踏み入れた瞬間、異世界に迷い込んだ気がした。
「シャウエンは、″青の真珠”と呼ばれているんだ」
それも頷ける。
この街は、あらゆるものが青い。
建物だけじゃない。壁から階段に至るまで、青に埋め尽くされている。
「なんで、こんな街を作ろうと思ったんだろう」
わたしが思わずそう呟いたほど、この景色は現実離れをしている。
「15世紀、スペインから逃れてきたユダヤ人難民が、彼らにとって神聖な色の青を家や通りを塗った――。そう言われているんだ」
「ユダヤ人?でも、モロッコってイスラム教国だよね?」
星が、裏通りに歩を進めながら言う。
「当時のスペイン王は敬虔なカトリック信者で、スペインに居住するユダヤ人に、『キリスト教への改宗か、あるいは追放か』の選択を迫ったんだ。そこで彼らは、当時イスラム教国でありながら、他宗教に寛容だったこの地に移り住んできたと言われているんだ」
――そうなんだ。
一口に〇〇教といっても、多宗教への寛容度や関係性は、時代や国によって大きく異なるということなんだろう。
不意にどこからか、「にゃぁぁぁ」という声が聞こえてきた。
目をやると、青い壁にかけられたアートに溶け込むように佇む猫が、じっとこちらを見つめている。
「この猫もまた、アートの一部みたいだね」
ミゲーラが言う。
よく見ると、どこか日本の猫っぽいビジュアルをしている。
彼の祖先もまた、どこかの大陸から渡ってきたのだろうか。
「猫の世界には、宗教対立なんてないんだろうね」
わたしは、思わず呟く。
こんなにも世界を細分化させて、対立を生み出すのは人間くらいだろう。
わたしはバックを漁って、干し肉を手に取り、猫の顔に近づける。
彼はそれをくんくんと嗅ぐと、ぷいっと顔を背けた。
やがて、さっきと全く同じ格好で微動だにしなくなる。
「もしかしたら、猫の世界にも干し肉派とか、煮干し派とかの対立はあるのかもしれないね」
そう言ってミゲーラが笑う。
確かに、生き物である以上、『好み』の違いからは逃れなれないのかもしれない。
「でも反対に、『好き』が団結を加速させるこもあると思うんだ。例えばアニメとかでね」
ミゲーラが言う。
ミゲーラは、かつてアニメにはほとんど関心がなかったそうだけど、わたしと星があまりに執拗に薦めたせいで、最近見始めたそうだ。今のお気に入りは、『宇宙兄弟』らしい。
「ある意味、アニメは多神教みたいなものかもしれないね。一人ひとりにとっての”神アニメ”が、それこそ八百万の神ほどに共存しうる世界だから」




