第241話:紫の空
海の鼓動が微かに響き、祈りの静寂と共鳴する中――。
わたしは目を開いた。
隣を見ると、星も、キリスト教徒であるはずのミゲーラもまた、ある種の感慨に囚われているようだった。
――これだけ壮大なモスクを建てるのに、どれだけの人の努力が払われてきたのだろう。
「イスラム教は偶像崇拝を禁止しているからこそ、空間そのものを神聖化させているのかもしれない」
そう、星が呟く。
確かに、「偶像崇拝の禁止」という言葉は、世界史の教科書にできた気がする。
ただそのときは、『じゃあ、見えない神を、どのように他の人に伝えていくんだろう……』と純粋に思ったものだった。その答えの一つが、こうした空間にあるのかもしれない。
「他にも、偶像のいない宗教ってあるの?」
「ユダヤ教もそうだけど……もっと日本人に身近なところでは、神道だってそうだよ」
「確かに、神社で神様の像を見たことはない気がする……」
「神道は、八百万の神々を崇拝するアニミズム的な宗教だからね。神霊は、山、川、木、岩などの自然や、特定の場所に宿るとされているんだ」
解説をしながら、星はその歩みを進めていく。
やがて、どこか新緑の緑を思わせる、モザイク模様の噴水が目の前に現れる。
人造物でありながら、ある種の自然の摂理さえ感じさせるような、不思議な紋様だ。
不意にわたしは、今は亡きおじいちゃんの言葉を思い出す。
「森羅万象、あらゆるものは、波を発している」
わたしは、星に尋ねてみる。
「人造物に、ある種の存在や思念みたいなものが宿ることって、ありえると思う?」
星は、問いの意図を汲み取ろうとするかのように、わたしの目を見つめ返す。
「正直、分からない。ただ、神道においては、そう信じられているのは事実だね。岩や、木々、川や滝みたいな自然物だけでなく、鏡や剣、勾玉といった人造物も、依り代になりえるから」
「依り代って?」
「神道において、神の霊が宿る対象物や場所のことだよ」
去年までのわたしだったら、スピリチュアルっぽすぎると、一笑に付していたかもしれない。
でも、新たな国を巡り、想像を超える光景を目の当たりにする度に、自分の中で”常識”としてきたものが揺らいできている気がする。
モスクから出た時、カサブランカの空は透明な紫に染まっていた。
夕陽が落ち、夜の闇が支配する直前の一瞬にだけ現れる幻惑的な色彩。
もしも、自然にも意思が宿りうるとしたら――。
この空もまた、何かを体現しようとしているのだろうか。
そんな答えのない問いはすぐに闇に溶け、気付くと夜空に月が微笑んでいた。




