第240話:神の玉座は水の上に
2030年1月5日 モロッコ・カサブランカ
「وَكَانَ عَرْشُهُ عَلَى الْمَاءِ」
モロッコ人の運転手が前方を指差し、なにやら話しかけてくる。
さっぱり聞き取れず、顔を見合わせるわたしとミゲーラに、前の座席の星が解説してくれる。
「『神の玉座は水の上にあった』っていう、コーランの一説だよ。あれは、その一節に着想を得て建てられたと言われているんだ」
前方に視線を移すと、目に飛び込んできたのは、巨大すぎる建造物だった。
まだ相当距離があるにも関わらず、その威容がまざまざと伝わってくる。
――『神の玉座』というのはモスクを意味するとしても、『水の上』っていうのは……?
ようやく車がそこに辿り着くと、そんな疑問は氷塊した。
その巨大なモスクは、海上の人工島の上に鎮座していたのだ。
「ここがモロッコ最大のモスク、通称”ハッサン2世モスク”だよ。礼拝堂だけで25000人、広場を合わせれば10万人を収容できるといわれているんだ」
――10万人って、一つの小さな市の人口くらいなんじゃ……。
わたしたちは、白大理石が敷き詰められた広大な中庭に足を踏み入れる。
白大理石のゼリージュタイルに夕陽が反射し、キラキラとした光を放っている。
「このタイルのパターンって、マラケシュのバイア宮殿に似ているね」
ミゲーラの言葉に、星が頷く。
「ゼリージュタイルっていって、モロッコの伝統建築なんだ。格子模様だけじゃなくて、花や星なんかあって、それを組み合わせることで、優美な幾何学文様を生み出すんだ」
星に連れられ、これまた巨大な礼拝堂への扉をくぐる。
思わず溜息が漏れた。
無数の大理石柱が天を支え、シャンデリアのクリスタルが光を乱反射させている様は、まるで星々が降り注いでいるかのようだった。
床の一部はガラス製で、その下に大西洋の青が揺らめいている。
『神の玉座は水の上にある』という言葉が、体に沁みこんできた気がした。
わたしは静かに目を閉じ、その感覚に身を委ねた。