第232話:ファド、あるいは宿命
「君たちに会いたいという人がいるんだ」
すっかり夜の帳が落ち、赤屋根に白壁の家々にオレンジの光が灯るリスボンの街を歩きながら、シルバが言う。
わたしは、横を歩く星とミゲーラの顔を見る。
二人は心当たりがないという風に首を振る。
「誰、ですか?」
わたしがゆっくりと問い返す。
ペルーでバルバラに嵌められて以来、どうしても警戒心が先だってしまう自分がいる。
シルバが笑いながら言う。
「そう警戒しなくてもいい。君たちも、よく知っている人物さ」
――え?
ポルトガルに知り合いなんていただろうか?
「彼は、俺の行きつけのファドの店で待っている」
「ファドって?」
「ファドは、『運命』や『宿命』を意味する、ポルトガルの国民的音楽だよ。いやぁ、一度、現地で生で聞いてみたかったんだよね」
ミゲーラが横から、興奮を隠せずに言う。
「ああ。ファドだけはこの地で聴くべきだ」
シルバが頷く。
――『運命』やら『宿命』とか言われても、正直ベートーベンくらいしか思い浮かばない。ましてや、音楽のジャンル自体の名前が、そんな意味だと言われても、さっぱりイメージが湧かない。
ま、でも、ミゲーラが推すならよっぽど魅力的な音楽なんだろう。
「さあ、ここだ」
路地裏にある古めかしいバーの、ぶ厚い木製の扉を開く。
顔見知りなのだろう。
店員はシルバの顔を見ると、黙って奥の部屋へと案内してくれる。
まるでアニメに出てくる、異世界の冒険者ギルドが集まる宿屋みたいな雰囲気に、なんだかワクワクしてくる。
案内された奥のテーブルに座る人影は、確かにわたしたちがよく知る人だった。
「アレク!?なんでここに?」
三か月前に別れたはずの盟友・アレクがワイングラスを片手に座っていた。
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「久しぶりだな」
赤ワインを傾けながら、アレク言った。
「で、でも、なんでここに!?」
その問いには答えず、アレクは口に人差し指を添える。
「ファドが始まる。話はあとにしよう」
わたしたちが席に着くと、薄暗い店内のステージに、白いスポットライトが当たる。
赤いドレスを着た歌い手がゆっくりとその中央に立つ。
目が覚めるような美人だ。けれど、その表情にはぬぐいようのない翳があった。
彼女は一瞬、わたしたちのテーブルに艶めかしい視線を送ると、やがて短く息を吸った。
イントロが流れる。
過去を懐かしむような表情で、シルバが言う。
「Mar Português――”ポルトガルの海”という歌だ」
テーブルの上の炎がゆらりと揺らめき、赤ワインに陰影を描いた。




