第220話:勝ち組と負け組
「”勝ち組”と”負け組”という、言葉を知ってる?」
不意に文江さんが尋ねてくる。
わたしは、急な質問に幾分戸惑いながらも、問い返す。
「それって、人生の勝ち組とか負け組とかいう、格差の話ですか?」
文江さんは首を横に振る。
「ブラジル移民での間では、その言葉は、まったく違う意味を持っているの」
――違う意味?
「1945年の日本敗戦後、この国の日系移民の間で、ある決定的な対立が起こったのよ。負けを理解していたグループと、それでも日本は勝ったと言い張るグループとで。前者を負け組、後者を勝ち組と呼んだのよ」
「え、どういうことですか? 二次大戦って、日本が敗戦したんですよね……?」
「ええ。けれども、当時はテレビなんてなかったし、ラジオを聴ける移民でさえも少数だったわ。だから、敗戦の報をきちんと聞けた人の方が少数だったのよ」
AIに何でも尋ねられる現代では考えられない。
「だからこそ、日本の勝利を信じたい”勝ち組”が、敗戦を受け入れた”負け組”を攻撃し始めたのよ。それは、日に日にエスカレートし、やがて20人以上の死者が出るにまで至ってしまった」
――え!?
わたしは思わず絶句した。
「そ、それって.….…。正しい情報を唱えていた”負け組”側が、間違った情報を信じた”勝ち組”側に殺されたってことですか?」
「そう。私の親は負け組だった。だから、『日本が負けたなんて言うやつは非国民だ』といって、勝ち組が家にも押しかけてきたのよ。それも徒党を組んで。当時8歳だった私は、それから約2年間、日本人移民たちが真っ二つに分断されてゆく様を、ただただ傍観するしかなかった」
「でも、なんでそんなことが起こったんですか?昔だからって、新聞とかはあったはずですよね」
「現地で配られていた新聞そのものも、勝ち組によって捏造されていたから」
ミゲーラが言う。
「今でいうFake Newsってやつだね」
わたしは、思わず呻いた。
確かに、ネットでいくらでも情報が手に入るからって、それが真実である保証なんてどこにもない。
「それって、あまりに理不尽じゃ……」
「そうね。何が悲しかったって、今まで力を合わせて、ブラジルの大地を開拓してきたはずの仲間達が、一夜にして敵に変わってしまったことよ。そしてその中には、無二の親友の由美もいた。彼女は、必死で私を”勝ち組”に引き込もうとしてきたの。それも、純粋な善意で」
わたしは、親友の裏切りによって、カルト教団に誘拐された幼き日のカイのことを思い出した。でももしかしたら、その親友もまた、本人としては善意だったのかもしれない。
――『人は信じたいものしか信じない』
カイの言葉が頭をよぎる。
まさに、「勝ち組」は、『日本が勝った』と信じたいが故に、都合の悪い事実には全て目を背け、事実を捻じ曲げていたのだろう。
大人でさえそうなのだ。
ましてや、分別のない子どもにとっては、洗脳されているのに近い。
一度信じ込んでしまうえば、本人にとってはそれが真実そのものに映る。
月の女神の洞窟で、謎の煙を吸わされ、わたしがバルバラの思想に染められてしまったように。
わたしは声を絞りだすように尋ねた。
「どうやって…、どうやって乗り越えてきたのですか?そんな、地獄みたいな分断を」




