第218話:流れる景色
「羨ましいって、わたしのことが?」
わたしは、思わず声を上げる。
並外れた知性に美貌、ついでに家柄も兼ね備えた十萌さんが、わたしみたいになるために、脳手術までしたいだなんて――。正直、冗談にしか聞こえない。
「皆が羨むものを持ってる十萌さんが、なんでわたしなんか……」
「皆なんて関係ない。人は、自分が、”心から欲する相手”から求められない限り、幸せになんてなれないんだから」
十萌さんの表情が、切なさに翳る。
車窓から流れ込む夜の光が、彼女の顔に陰影を描く。
その瞳は、目の前のわたしを見ているようでいて、どこか遠くを見ているようでもあった。
――ああ。
わたしは直観した。
彼女の心の中にはもう既に、”心から欲する誰か”がいるんだろう。
そしてたぶん、その想いが永遠に実らないであろうことを、彼女自身は知っている。
それでも求め続ける――。
そんな決意の煌めきが宿っている。
「でも、怖いんです。もし、他人の記憶が自分に入り込めでしまうなら、わたしが誰かを信じ、欲する気持もまた、他人の誰かのものなんかじゃないかって」
わたしは、堪えきれず言う。
十萌さんはわたしまっすぐに見据えて、優しく言う。
「そうね。あんな経験があった後じゃ、そう思うのも無理はないわね」
彼女の手が、わたしの頭に優しく触れる。
「もちろん、全てを受けて入れる必要はないわ。ましてやかつて滅びた帝国の怨念なんてね」
きっと彼女は、インカの妄執に囚われた、バルバラのことを言っているんだろう。
「でも、今を生きる全ての人達は、歴史を背負って生きている。それは時に言葉で、時には遺伝子を介して。人の脳は、広大無辺だけれど、同時に限界もある。だからこそ、あなたは選ばなければいけないの。誰を欲し、何を護るのかを」
十萌さんのしなやかな指が、そっとわたしの瞼に触れた。
その指に誘われるように、わたしは、目を閉じる。
――誰を欲し、何を護るのか……。
わたしの中に、まずは太陽のような星の笑顔が浮かび、直後に、月のようなカイの横顔が脳裏に去来する。
やがて、それがお父さんになり、おじいちゃんになり、夢華の像へと変わる。エリーが、アレクが、ソジュンの顔が明滅し、そのイメージがミゲーラへと変わったとき……。
前の席から、ミゲーラの陽気な声が聞こえてきた。
「今から、みんなでサンパウロの僕の家に遊びにこない?一緒に新年を祝おうよ」




