第217話:神域
「”聖域”や”神域”と呼ばれる場所での”記憶の継承”についての言い伝えは、世界中に転がっているわ。それこそ日本にもね」
「し、神域?」
聞き慣れない言葉に、思わずわたしは問い返す。
「ええ。その名の通り、”神々が宿る場所”のことを、日本では神域と呼ぶの。私の生まれた京都にもいくつもあるし、長野の御嶽山なんかもそう」
「十萌さんも、そういうのを感じられるんですか?」
初対面のときは完全な理系女子だと思っていたけど、そもそも彼女は神道の名家出身なのだ。
でも、彼女の回答は意外なものだった。
「いいえ、わたしには全く感じられないの。人生で一度も、幻視も幻聴も経験したことはないわ。わたしの先祖や親族にはそうした人で溢れているのにね」
「へ!?そうなんですか?」
「ええ。それが、九条家の一人娘として、長い間コンプレックスだったの。そうした体験を科学的に証明したい―――。その想いが私の研究者としての原点なの」
「でもそうしたことって、科学とは正反対なもののように感じるんですけど……」
十萌さんは言葉に力を籠める。
「そんなことはないわ。科学とは、未知のものに興味を持ち、検証していくプロセスそのものだもの。今の科学で検証されていなくても、それが科学的でないということには決してならない」
確かに、かつて天動説が信じられていた頃、地動説を唱えることは似非科学以外の何物でもなかっただろう。
わたしは思い切って訊ねる。
「でも、わたしも、今までそんなものを視たことなかったのに……。どうして急に月の神殿で、インカ族の記憶を幻視したんでしょうか?」
あくまでも仮説だけど……と十萌さんが言う。
「恐らくは、いくつかの要素が絡み合っているはずよ。一つ目は、月の神殿が、そうした”記憶”が留まりやすい場だったということ」
「記憶が留まりやすい場所?」
「ええ、古代より、そうした場所を選んで、”聖域”や”神域”としていたのかもしれない」
「な、なんかドラクエとかでいう、セーブポイントみたいな感じですね……」
「ええ、一般の人が行っても何も起こらないけど、”勇者”が行けば、冒険の記録がセーブできるみたいな感じかもね」
「そして、二つ目は、ヴィクラムの針により、リンちゃんの脳の一部がそれを受容しやすい形に機能変化していたこと。その上で、インカのシャーマンの秘薬を嗅がされることで、”記憶の継承”のトリガーが引かれたかもしれない」
「ということは、他の人があの場所に行ったとしても、同じものが視えるとは限らないということでしょうか?」
「ええ。恐らくわたしが行ったとしても、残念ながら何も視られないと思うわ。そういう部分の脳機能が、生まれつき発達していないみたいだから。だから、正直、リンちゃんが羨ましいの……」
そう言って、十萌さんは、ちらりと上目遣いでわたしを見る。
「え? こんなわたしが!?」
「ええ。九条家に生まれながら”何も視えない”ことを、ずっと負い目に感じていたの。だから、将来もし、脳外科手術で、リンちゃんの視えているものが、私にも視えるようになるなら、第一号に志願するわ」




