第212話:緑の大統領官邸
「あの広場は、ポルトガル語で『パラシオ・ド・プラナウト』、日本語では『三権分立広場』という名前なんです。司法、立法、行政の主要施設があそこに集中しているので」
車の助手席から、大使館員の西田さんが解説してくれる。
梨沙さんと一緒に、わたし、星、そしてミゲーラの三人を、車で迎えにきてくれた人だ。
「なんか、あの建物、光ってますけど……」
わたしは、ひときわ目立つ、ブラジル国旗の緑色にライトアップされていた建物を指差す。
「あの大統領官邸で、晩餐会が開かれるんです」
どうやらこの都市は、あらゆる建物を芸術的に造らないと気が済まないみたいだ。
――そういえば……と星が切り出す。
「お昼の風間首相と、チアゴ統領との会談の感触は、どうでしたか?」
梨沙さんの答えは、らしくもなく歯切れが悪かった。
「感触は悪くなかった。少なくても、氷河期到来による事態の深刻さと緊急性は伝わったはずだ。ただ……、何と言うかまだ相手の本心を掴み切れていない気がする」
同席したらしい西田さんも言う。
「現大統領は、もともと貧困家庭出身のたき上げですからね。率直な物言いが本分のはずですが、お昼の会談では、敢えて本音を隠していたように見えました」
「え、大統領って、貧困家庭の生まれなんですか?」
なんとなく、大統領になるような人は、エリートのお金持ちなのかと思っていた。
西田さんが頷く。
「ええ。若いころは、靴磨きから料理人まで、生きるためになんでもしてきたようです。1985年に軍事政権が倒れた後、ブラジルの貧困層からの絶大な支持を得て、政治家として頭角を現したんです」
「ブラジル国民の約3割はまだ貧困層だから、支持基盤は厚い。もっとも、だからこそ風間さんを含めたいわゆるエリートキャラとは、馬が合わないのかもしれないけどな……」
梨沙さんの物言いに、西田さんが苦笑する。
首相補佐官が、首相をさん付けする姿が、よっぽど珍しいのかもしれない。
「ま、だからこそ、この晩餐会で少しでも、少しでも本音を引き出せればいんだけどな……」
そういって、梨沙さんは、わたしと星、そしてミゲーラを見る。
ミゲーラが陽気に「オッケー」と答え、星も力強く頷く。
わたしは……といえば、相変わらず曖昧な笑みを浮かべるくらいしかできない。
ほどなくして、車は大統領官邸に吸い込まれていく。
案内された待合室では、風間首相や橘長官、創さんに加えて、閣僚たちが顔を突き合わせ、何か真剣な表情で議論を交わしている。
「リンちゃん!」
そんな中で、ほとんど紅一点の十萌さんがわたしを見つけ、駆け寄ってきてくれる。
和装を完璧に着こなしている十萌さんを見て、わたしは、急に自分の服装が恥ずかしくなる。
襟付きはついてるけど、あまりに一般的なシャツだったから。
「あの、わたしの服ってこれで良かったんでしたっけ?」
十萌さんが、微笑む。
「そのままでも素敵だけど……。もしよかったら、わたしが日本から持ってきた和装を試してみる?」
そう言うと、女性の大使館員とともに、別室に案内してくれた。
その部屋に据えら得た移動式のクローゼットの中には、色とりどりの和服が収められている。
「え、こんなに持ってきたんですか?」
「他のお偉いさんの服装に合わせて、調整したりもするからね」
十萌さんは、その内の一枚を手に取って言う。
「この桜の和服なんて、リンちゃんに似合うと思うけど、どうかしら」
着物の価値が全く分からないわたしが頷くと、あとは十萌さんのなすがままだった。
さすが、神道の名家の跡取りだけあって、着付けの作法も流麗だ。
服を脱がされ、襦袢を着せられ、着物を羽織らされたかと思うと、帯をぎゅっと結ばれて、気付くと着付けは終わっていた。
「完璧ね。いくわよ」
十萌さんはそう言うと、優雅ながらも力強く、晩餐会場の扉を開いた。




