第208話:遷都
「クスコの空港から、大統領官邸のあるブラジリアまで、こいつで約5時間だ。その間、ゆっくりと休むといい」
ジャックが、プライベートジェットのベッドルームに案内してくれる。
さすがアイロニクスの専用機だけあって、正直、橘長官たちが登場する政府専用機よりも豪奢かもしれない。実際、ベッドも、自宅のよりふかふかで快適だ。
だけど、暗くして目を瞑ると、自分の意識がどこかに消え去ってしまうような恐怖に押しつぶされそうになる。
何かしゃべっていないと不安で、身体を起こして隣の星に話しかける。
「そういえば、ブラジルの首都って、何でブラジリアになったんだっけ?」
かつて歴史の教科書で、『ブラジルの首都は、有名なリオでも、サンパウロでもなく、ブラジリアという都市だ』と書いてあるのを読んで、驚いた記憶がある。
「簡単に言うと、かつての首都で『文化の中心』を標榜していたリオと、『経済の中心』だったサンパウロの対立が激化したからだよ。政治的な中立性を保つために、1950年代に新たにブラジリアを建築したんだ」
「リオとサンパウロって、なんだか、『京都』と『東京』の関係みたいね」
わたしの呟きに、星が頷く気配がする。
「そうだね。ただ日本の場合は、江戸幕府の終焉とともに東京に首都移転したけれど、ブラジルは、二大都市のどちらにもせずに、第三の新都市を建築することを選んだんだ」
「でも、首都って、そんな簡単にで作れるものなの?」
「特に、当時のジュセリーノ・クビチェック大統領が、強力なリーダーシップを発揮したらしい。『50年の発展を、5年で』というスローガンの下にね。実際に、ここまで巨大な国の首都が、5年間という短期間で建築されたのは、近代史上でも異例といっていい」
そりゃそうだろう。
”倒幕”という大事件があった日本でさえも、既に栄えていた東京への移転だったのだ。それを、いきなり、まだ出来てもいない都市へと遷都を宣言されたら、もともとの首都のリオの民ならずとも承服しかねるだろう。
「そうだね。短期間での首都建築を評価する声が上がった一方で、財政負担は大きかった。当時のブラジルのGDPの10%もの巨額を費やし、その後の高インフレにつながったと、当時は不満の声も多かったらしい」
「結局、物事が良かったか悪かったかは、評価する人次第ってこと?」
「あとは、時間の洗礼だね。実際、ブラジリア建設から80年後の今では、肯定意見の方が多い。都市全体の3割が緑地で、都市全体が世界遺産に指定されているんだ」
……へええ。
そんな話、日本では聞いたこともなかった。
「時代の流れを変えるような大改革は、それがどんなものであれ、すぐには評価されないから」
確かにそうかもしれない。
今となっては当たり前の、明治元年の東京遷都も、千年もの間首都であり続けた京都に慣れ親しんだ人々にとっては、暴挙以外の何物でもなかったはずだ。
「きっと、風間首相も、そんな気持ちで改革の御旗を振っているんだと思うよ」
正直、わたしにとって、風間首相の話は難しすぎて、いまだによく分からない。
むしろ、半年前までは、『政権が取れたら消費税を0%にする』とか、分かりやすいことを言ってくれる政治家の方に心惹かれていた。
でも、歴史的視点でみたら、それだけじゃいけないのかもしれない。
そんなこんなで頭を難しいことで埋めていたら、ようやく睡魔が訪れてきてくれた。




