第205話:黒幕
「あ、ありがとうございます!」
ルミがわたしの下に駆け寄ってくる。
その瞳は、今までのわたしに対するものとは明らかに違った。
「月の女神は、”世界の光を守る存在”として崇められていました。もしかしたら、リンさんは……」
その表情にはどこか崇拝に近いものが浮かんでいる。
「わたしたちインカの民を救う、女神の生まれ変わりなのかもしれません」
――え?
「スペイン人たちをこの地から駆逐するための……」
そう言って、ルミは横たわるリカルドたちを指差す。
その口調は、どこかバルバラに似ていた。
いや、あの夢の中で出てきたバルバラの先祖らしき、隻眼の女性に。
彼女は、わたしに木の棒を手渡した。
これで、とどめを刺せとでもいうのだろうか。
頭の奥が痛みが、強くなる。
衝撃波を発した後遺症なのだろうか。
ぼんやりとした頭で、先端が折れて尖った棒を握りしめる。
――今なら、容易に仕留められる。
放っておけば、再びわたし達を襲うかもしれないのだ。
どこかから声が聞こえる。
「侵略者どもに、正義の鉄槌を」
わたしは、その言葉をぶつぶつと繰り返しながら、ルミを襲った男の前に立つ。
男の顔が恐怖にゆがむ。
わたしが、棒を振りかざした瞬間。
不意に腕を掴まれ、背後から体温が伝わってきた。
振り向くと、星がわたしを強く抱きしめていた。
「え、な、なに……?」
戸惑うわたしに、星は強くキスをした。
ーへ?
今まで、約20年、人生のほぼ全てを一緒にいたにもかかわらず、初めてのその行為に、頭が真っ白になる。
”からんっ”、とわたしの手から棒が落ちる。
一瞬、身体が固まり、やがて身体を星に委ねる。
幸せと、少しだけの後ろめたさがわたしを貫く。
すっかりと毒気を抜かれたわたしは、その場にへたり込んだ。
頭の痛みがぶり返してきた。
やがて、星がルミの方へと歩み寄っていく。
――傷ついたルミの心をケアするんだろう。
けれど、わたしの想像とは裏腹に、星の言葉は、あまりにも意外なものだった。
「この計画を、君はどこまで知っていたの?」
――え?
わたしは思わず、ルミの方を見る。
彼女の眼は、昏く沈んでいた。
そこには怯えに近い光が浮かんでいる。
「ど、どういうこと?」
わたしはふらつく足でどうにか起き上がり、二人の方へと歩いていく。
「つまりルミが、今回の襲撃に関わっていたってこと?」
「僕も信じたくはなかった。でも、あの温泉に行くことを、事前に知っていたのは、リンと僕、そしてルミの3人だけだった」
「え、でもあれは、単に偶然だったんじゃ……?」
「それだけならまだしよかった。でも、ルミが誘ったこの天界の山の月の神殿で、申し合わせたかのように、幻覚性のある煙が焚かれていた。あれは、インカの儀式に用いられる特別な薬草なんだ」
「で、でも、あの煙って、ルミも吸ってたよね?それに、リカルドたちだって……」
「そう。だから、ルミが一人で仕組んだとは考えづらい。彼女だけでなく、リカルドたちさえも手駒として操っていた黒幕がいるんだ」
「黒幕!?」
リカルド達でさえもないとすれば、一体誰なんだろう。
「たぶんそいつは、今、この時点でも僕たちの会話に耳をそばだてているはずだ」
星が、月の神殿の洞窟に視線を送る。
やがて洞窟の入口から、ゆらりと人影が現れた。
それは、クスコに残っているはずの、バルバラだった。




