第203話:道化
「動くな」
銃口から硝煙を吐かせながら、男が言う。
「俺は今、虫の居所が悪いんだ。洞窟の中で、妙な幻覚を見ちまったからな」
リカルドの眼は座っている。
――まさか、彼もまた、洞窟の中であのインカの民たちのやりとりを幻視したのだろうか。
「まあ、抵抗しなければ、三人とも半殺しで済ませてやるよ。アタワルパとは違ってな」
そう言って、わたしに銃口を向けつつも、仲間が羽交い絞めにしているルミの方へと歩いていく。
「俺はご先祖様より寛容なんでな」
そういって、ルミの顎を掴み、無理やりキスをしようとする。
ルミが、先祖を侮辱された怒りで顔をゆがませ、リカルドに唾を吐きかける。
リカルドは、無言でルミの顔を平手打ちする。
「やめろっ!!」
地面にうずくまっていた星が叫ぶ。
だが、その声はリカルドの取り巻きの蹴りによって、すぐに打ち消される。
あまりに理不尽な暴力に、わたしは、ほとんど理性を失いかけていた。
代わりにどす黒い感情が支配してくる。
このピサロの末裔どもに、先祖の償いをさせてやる。
わたしの燃え上がるような殺気に、僅かに男はひるんだように見えた。
だが、手にしている銃が気持ちを大きくしているのだろう。銃口を震わせながらも、残りの二人に指示を出した。
「蹂躙しろ」
リカルドの言葉を聞きオールバックの男が、ルミの民族衣装を剥ぎ取ろうとする。
ひょろりとした男は、うずくまる星の腹を再び蹴り上げる。
その言葉に、わたしの心の導火線が着火した。
「ライトニング!!」
わたしが叫び、脳波を送ると、バックバックに潜ませていたハヤブサ型アバターが飛び立つ。
――上空まで飛翔し、急降下で相手を仕留める。
三式島でジェラルド率いる傭兵隊にとどめを刺した、必殺の戦法……のはずだった。
しかし、意外にもリカルドは冷静だった。
「その鳥を、動かすな。最愛の男の命が惜しいならな」
さっきまで震えていたはずの銃口を、地面にうずくまる星に向け、低い声で言った。
わたしはようやく気付いた。
この男が、敢えて道化を演じていたことに。
あの鳥が、戦闘用のアバターであることを、こいつは既に知っている。
そして、わたしにとって星がどういう存在なのかも。
そこまで入念に調べた上で、チンピラを装って接近してきたのだ。
恐らく、温泉にいたのも、あんなにもわざとらしく絡んできたのも、事前に仕込んでいたんだろう。
「お前たちは、何者なんだ?」
わたしは呻くように訊ねる。
リカルドは「何のことだ?」とばかりにとぼけた表情を作る。
その時、星が絞りだすように言った。
「……Dominatores Animarumi」
ドミナトーレス・アニマールム。
わたしは、思いもよらないその言葉に驚愕する。
カイを誘拐した、古代ギリシャのオルフェウス教に源流を持つカルト教団。
だが、ヨーロッパ全土に隠然とした影響力を持つとはいえ、こんなペルーの山奥にまで、その影響を及ぼせるものだろうか?
リカルドは、表情を変えない。
けれど、その微妙な脳波のゆらぎを、わたしは見逃さなかった。
「そのアバターは、ちょっとばかり厄介だ。ゆっくりと俺の目の前まで下ろしてこい。そいつの眉間を撃ち抜いてて破壊してやる」




