第201話:月の神殿
「え!?ここを進むの?」
わたしは思わずルミに訊ねる。
巨岩と巨岩との間には、大人一人、かろうじて入れるかどうかの隙間しかない。
「はい。ここが、”月の神殿”へと至る唯一の道なんです」
体を横にし、服を擦りながらも、どうにか岩場をすり抜けたわたしと星に、ルミが言う。
「ここからは少し、キツくなります」
木の根を掴み、狭い岩場をよじ登り、木々の間を抜けること約30分間。
星はもちろん、わたしでさえも、息が切れ始めたころ……。
「あそこです」
ルミが、前方に見えてきた、洞窟の入り口らしき場所を指差した。
入口付近は草で覆われているものの、その周囲は明らかな人造の建築物が囲んでいる。
「月の神殿は、あの洞窟の中にあるんです」
――神殿というからには、なんとなく巨大な石造建造物だと思っていた。
けどどうやら、天然の洞窟と、インカの石工技術を組み合わせて作られているらしい。
ルミが洞窟の中に足を進める。
次いで、わたしと星が中に入る。
急に日陰に入ったせいか、ひやりとした感覚がわたしたちを包む。
それに何だか、洞窟全体に嗅いだことのない不思議なにおいが充満している。まるで香木か何かを焚いているような……。
薄闇の中、目を凝らすと、そこには祭壇のようなものがあった。
「お座りください」
わたしたちは、岩場に腰掛ける。
「ここで代々、”ママ・キリャ”を祀る祭事が行われてきたんです」
「ママ・キリャって、どんな神様だったの?」
わたしの問いに、ルミが淀みなく答える。
「彼女は月の女神と呼ばれ、太陽神インティの妻とされています。インティが『昼と男性』の象徴であり、農業などを司っていた対し、ママ・キリャは『夜と女性』を象徴していました。つまり、インティと、ママ・キリャは対となる存在なんです」
星が興味深そうに手を叩く。
「そうか。マチュ・ピチュでは太陽を、そしてこの神殿では、月の運行を測定していたんだね」
「ええ。この洞窟への光の差し込み具合によって、満月や新月といった時期が分かるようになっているんです。太陽、そして月が、インカにとっての暦そのものでしたから」
ルミの声が洞窟内に響く。
民族衣装をまとう彼女の姿は、霊媒師のようにも見えてきた。
実際、大叔母であるバルバラがそうであった以上、彼女もまたその素質はあるのかもしれない。
煙のようなものが彼女を纏い始める。
次第に彼女の声が遠くなっていく。
そしてわたしは、そっと目を閉じた。
**********
不思議な夢を見た。
ルミに似た面影を持つ、けれどボロボロの衣をまとった女が、月の光が差し込む洞窟の中で、何かを叫んでいる。
その前にはいずれも民族衣装をまとった男女が、車座になって座っている。
その声は、バルバラのものに酷似している。
けれど、その女の右目には大きな傷跡がある。
残る右目に燃え盛る憤怒と憎悪の怒りが、見る者を圧倒する。
意識を集中すると、分からないはずの彼女言葉の意味が、なぜか鮮明に脳内に響いてきた。
「インカの民は、今こそ立ち上がるべきよ。捕われ、殺されたアタワルパ様の無念を晴らし、われらの土地を取り戻すために!」
目の前の男が、伏し目がちに言う。
「ピサロは”神殺し”だ。それに奴らは”火を噴く棒”を持っている。逆らうことなんて出来ない」
「奴らはただの卑怯者だ。皇帝を騙し、黄金を奪った略奪者にすぎない」
隻眼の女が否定する。
別の男が暗い表情でつぶやく。
「だが、仲間たちの多くは、彼らの”呪い”によって既に斃れている」
「違う!あれは、海の向こうからもたらされた疫病なんだ。神の呪いなんかじゃない。騙されるな!」
女はなおも抵抗する。
だが、目の前の男たちはざわめくだけで、目を合わせようとしない。
最年長の、長老らしき男が立ち上がる。
「まだ、時は満ちていない」
そう言って、女の肩を掴む。
「幸い、この地は奴らには見つかっていない。やがて神が、皇帝が再臨したときの為に、存在そのものを隠し続けるべきだ」
なおも、女は抵抗し、何かを叫んだ。
けれど、次第にその声は小さくなり、聞こえなくなっていく……。




