第197話:同じくらい大切な存在
「あの……。リンさんと星さんって、お付き合いされていないんですよね?」
わたしとともに、部屋に入ったルミが、聞きづらそうに言う。
ルミがいなければ、星とわたしが一緒に部屋になると思って、気を遣っているのかもしれない。
「いや、わたし、星にはとっくに振られているから……」
刺すような失恋の痛みは既に消えているけれど、ストレートに聞かれるとそれでもじわっと心に響く。
「そ、そうですか……」
ルミが申し訳なさそうに言う。
わたしは、ぶんぶんと手を振る。
「あ、いやまあ気にしないで。10年も昔の話だしね」
「でも今は、心に同じくらい大切な人がいるから、思いとどまっているのですか?」
「え、なんでそんなこと……?」
心を見透かされた、わたしはたじろいだ。
確かにわたしの心には、昔みたいに、星だけが住んでいるわけじゃなくなっていた。
ここ数カ月の間、星について想うたび、いつのまにかカイのことも連想してしまっていることは、さすがに自覚している。
「おばあちゃんほどじゃないけど、わたしにも少し分かるんです。その人の心に宿る、光のようなものの強さと暖かさが……」
光のようなもの……?
戸惑いを隠せないわたしに、ルミは更に言葉を継ぐ。
「星さんも、たぶん同じなんだと思います。リンさんのことをとても特別に思いつつも、それと同じくらい大切な存在がいるからこそ、踏み出せないのだと」
――え?
星の、人類全体に注がれる、まるで太陽の光のような博愛精神は、幼馴染のわたしが誰よりも知っている。だからこそ、その優しさが、愛がわたしだけに向けられることはないと思っていた。
でも、わたしのことは、少しは特別に思ってくれているということだろうか。
そして、同じような存在が、星の中にもう一人いるというのだろうか。
不意に、”ピピピピピッ”と、アラームが鳴った。
気が付くと、待ち合わせまでの30分が経ったようだった。
わたしたちは慌てて荷物をまとめると、ロビーへと駆け降りていく。
既に辺りを散策してきたのだろうか。
ロビーで待つ星の手には、来るときはなかったはずの編み込みバッグが握られている。
「じゃ、行こっか」
聞けば、温泉はここから歩いて20分ほどの距離だと言う。
宿の外に出ると、周りはもう夜の帳に包まれていた。
もう、夕餉の時間だからだろうか。
時折観光者らしき人影は見るものの、喧噪は薄れ、渓流のせせらぎが山間にこだましている。
オレンジの街灯が揺らめいている。
わたしたち三人の影が、インカ時代の石畳に、長く長く伸びていく。
「百年前、この街に明かりを灯してくれた、一人の日本人のことをご存じですか?」
ルミの声が、夜の闇に溶け込むように響いた。