第196話:熱い水の村
「偉大なるインカの遺跡は、そのほぼ全てが、侵略者たちの手によって破壊されてしまった。ただ、手つかずで残っている遺跡も、僅かながらある。行ってみるかい?」
「もちろん!」
鳥の視点で見たサクサイワマンは、1割しか現存していないにもかかわらずこんなにも壮大なのだ。もし手つかずの状態で残っている遺跡があるとしたら、一体、どれほどまでに壮麗なんだろう。
「それってもしかして……」
目的地を察したらしい星を、バルバラが人差し指で唇を抑えて制止する。
「あそこは、先入観なしで見るべき場所だ」
「真実の歴史を知るには、ケチュアの民が一緒にいた方がいい。ルミ、あんたが案内してきな」
「えっ、あそこに、私も行っていいの?」
ルミの顔がぱぁっと明るくなる。
「ああ。あんたの母親にはあたしから言っておく。さあ、90秒で支度しな」
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ルミと星、そしてわたしを乗せた青色の電車が、緑の山道を走り抜けていく。
辺りの木々や花々が列車に触れそうな程に近い。
「スペイン人が破壊しなかった……ということは、隠れ里のような場所にあるの?」
ルミに訊ねる。
「ええ。”忘れられていた都市”と呼ばれていたくらいだから」
「え、建物じゃなくて、都市そのものが!?」
一つの建造物ならともかく、都市全体が忘れられていた――なんてことがあり得るのだろうか?
「もちろん、インカの民は覚えていたわ。でも、”外の人たち”からは、その存在を隠し続けてきたのよ」
――隠し続けるって、モノじゃないんだから……。
ますます、謎が深まってくる。
車窓から外を見ていた星が言う。
「目的地までは、電車で3時間くらいだよ。”Aguas Calientes”で降りて、そこからは車で向かうんだ」
「アグアス・カリエンテス?」
知らない外国語の場合、それが一体何を指しているかさえ分からないことが多い。
降りる、ってことは駅の名前かなんかなんだろうけど……。
「うん。そこが、目的の遺跡までの唯一の中継点だからね。ちなみにアグアスは”水”、カリエンテスは”熱い”という意味なんだ。”熱い水”、つまり温泉ってことだよ」
「え、海外にも温泉があるの?」
”温泉”って聞くと、瞬時に入りたくなるのは、日本人の本能な気がする。
「うん。ま、日本人の思う温泉とは、ちょっと違うかもしれないけどね」
そう言って、星が微笑む。
「アグアス・カリエンテスに到着するのは夕方になる。そこで一泊するから、温泉も一緒に入れると思うよ」
――え、一緒に温泉に入るの?
わたしの心臓が少しだけ跳ね上がる。
そんなわたしの表情を見て、なぜかルミまで顔を赤らめている。
3時間後。
列車は、予定から少し遅れて、アグアス・カリエンテスに辿り着いた。
”ざぁぁぁぁぁぁぁ”と、清流の音が聞こえる。
山間に建てられたその小さな村は、映画にでも出てきそうな幻想的な雰囲気を漂わせている。
ぽつりぽつりとオレンジの明かりが灯りはじめる。
どうやら、夕餉の支度が始まっているようだ。
宿に向かうと、星が手慣れた様子で、現地語でわたし達の部屋を手配してくれた。
星は一人部屋、わたしとルミは相部屋だ。
――予想してはいたけど、ちょっとだけ残念な気もする。
星が、わたし達に言う。
「30分後、ロビーに集合で。まずは温泉に行こう」