第195話:満ちた隼
わたしの脳裏に、どこかで聞いたはずの言葉がよぎった。
「ある国で侵略者とみなされている存在が、他国で英雄とされていることもあるんだ」
わたしは、次第に自分の中で善悪の基準が揺らいでいくのを感じていた。
バルバラの、インカ帝国の末裔の立場を取れば、ピサロは間違いなく悪人だろう。”皇帝を人質を取って、身代金を奪った上に殺した”という行為だけみても、極悪非道といってもいいかもしれない。
けれど、当時のスペイン人にとっては、新大陸を開拓し、領土を大きく拡大した征服者として捉えられていたはずだ。彼らの間では、”多勢に無勢の中で、勇気をもってインカ帝国で制圧した”といった英雄譚さえも語られていたかもしない。
「”新輪廻計画”って、思った以上に難しいね」
わたしは、星に言う。
創さんは、「転生ができるかの基準を、その人の愛が『他人にいかに幸せをもたらしたか』で測りたい」と言っていた。でも問題は、その”他人”とは一体誰なのかということだ。
すなわち、当時の母国民とってピサロは幸福や夢をもたらした英雄だろうし、インカの民から見れば不幸と災厄をもたらした悪の化身のように語られている。
将来、量子コンピューターが実用化したとして、輪廻のアルゴリズムは、彼を善とみなし転生を許すのか、あるいは悪とみなし転生を阻むのだろうか。
「そうだね。だからこそ、”サイコロを振るかのように、転生先をランダムに決めるべき”という、ルカの主張は正論なのかもしれない」
でも――と星は続ける。
「その正論には、”人類がより善くあろう”という希望が、一欠片も存在しない」
確かに、善き人であろうと悪しき人だろうと、関係なく転生可能になるとすれば、現世で善人であろうとする動機が薄れてしまう気がする。
”キィー!!”
その時、高い笛のような鳥の声が、空気を震わせた。
――あ、あの声ってもしかして。
聞き覚えのある甲高い声だ。
ハヤブサが、翼を大きく広げ天から舞い降りてくる。
わたしが右腕を上げると、そこに止まり木のように着地する。
「梨沙さんからボイスメッセージが届いているけど、再生する?」
「うん、お願い」
「最新モデルのハヤブサ型リアルアバター、通称”雷光”だ。ジャックの飛行訓練のお陰で、大幅に飛行速度が向上している。旅のもう一人の相棒として、こいつも連れてってくれ」
相変わらずの男前の声で、梨沙さんが言う。
それにしても、憧れのパイロット・ジャックの異名の「ライトニング」を冠するなんて、よっぽど自信作なんだろうか。
わたしの疑問を先読みするかのように、梨沙さんのメッセージは続く。
「こいつには、もう一つ新機能が搭載されてるんだ。それは……」
その先の言葉を聞いて、わたしはようやく命名の理由が腑に落ちた。
それなら、確かにその名前こそが相応しい気がする。
わたしはハヤブサ型アバターに視点を移し、脳波で空へと上昇させる。
地上からでは見られなかった、サクサイワマン遺跡の全貌が目に映る。
バルバラが言う通り、かつては巨大な要塞だったのが、この視点だと一目瞭然だ。
一連のやり取りを、興味深そうに見ていたバルバラが口を開いた。
「このサクサイワマンという名前の由来は知っているかい?」
わたしが首を振と、彼女は力強い声で言った。
「サクサイワマン……って意味さ。こうしてあんたが、そのハヤブサと共にこの地に来たのは、やはり運命のお導きかもしれないね」