第190話:インティ・ライミ
インカの歴史と、キリスト教の歴史が奇妙に重なり合い、不思議な調和を保っている太陽神殿の前で、わたしは、しばし当時に想いを馳せた。
「キリスト教って一神教なんだよね?なのに、こんな風に、宗教が入り混じった建物があるなんて……」
わたしの問いに、創が答える。
「人の心って、そう簡単に割り切れるものじゃないからね。実際、スペインによる征服から約500年がたった今でも、ペルーでは毎年、太陽神を祝う”インティ・ライミ”という祝祭が、盛大に行われているんだ」
「サラ、インティ・ライミの映像を探して」
そうお願いすると、わたしのスマホに、すぐに映像が流れだす。
それは、まさにこの太陽神殿の石壁に列をなす人達の映像だった。
行列の先頭には、金の冠と皇帝の衣らしきものをまとった男が、両手を広げ何かを叫んでいる。
皇帝の後ろには、赤や金を基調としたカラフルな帽子と衣装で着飾った男たちが続く。
印象的なのは、彼らが一様にかぶっている、泣いているような笑っているような不思議な表情の仮面だ。
「この仮面って、なんだか、日本の”ひょっとこ”みたい……」
星が笑う。
「”ひょっとこ”もまた、お祭りや神楽に登場するキャラクターだからね。もしかしたら何か共通点があるのかもしれない」
男たちの後ろには、壺を持った女性たちが続いていく。
壺の中で、黄色がかった乳白色の液体が揺れて、朝日に煌めく。
「あの壺の中って、何が入ってるの?」
「チチャっていう、インカ時代から伝わるトウモロコシを材料とした発酵飲料だよ。かつては太陽神への供物として使われ、今でも家族や村の絆を深める飲み物として愛されているんだ」
「チチャっていう、インカ時代からあるトウモロコシを材料とした発酵飲料だよ。かつては太陽神の供物として使われ、今では家族や村の絆を深める飲み物として愛されているんだ」
そう言うと、星はおもむろに、通りすがりの現地人らしき男性に、何やら話かける。
何度か言葉を交わすと、男性は通りの向こうを指差した。
星は彼に「Gracias」とお礼を言うと、わたしに笑顔で言う。
「あっちのお店で、チチャが飲めるらしい。行ってみよう」
簡素なレストランのお店に入り、星が二言三言話すと、恰幅のいいおかみさんが笑顔でグラスを持ってきてくれる。
「まさか日本の青年が、ケチュア語を話せるなんてね。いくらでも飲んでくれ」
民族衣装に身を包んだおかみさんは嬉しそうに言う。
ただ、その量がやたらと多い。
グラス一つ一つは小さ目ながら、お盆の上には、10以上ものグラスが並んでいる。
わたしは、その内の一杯を手に取る。
トウモロコシの甘い香りが鼻をくすぐり、口に含むと、柔らかな酸味が舌を包み、奥から穀物の優しい甘みが広がった。
「え、結構おいしい」
『インカの儀式で、供物として使われる』と聞いていたから、なんかお酒みたいなイメージをしていたけど、素朴で飲みやすい味わいだった。
唐突に星が、『misk』という。
いきなり「好き」と言われたかと思い、わたしは思わずチチャを噴き出しそうになる。
「ケチュア語で、『美味しい』って意味だよ」
星がいたずらっぽく笑うと、おかみさんが満面の笑みになる。
「ケチュア語って?」
「インカ族が使っていた言葉だよ。今もなお、ペルーでは少数民族の言葉として使われてるんだ」
「インカの歴史に興味を持ってくれているんだね。嬉しいよ」
おかみさんはたとたどしい英語でそう言うと、店の奥に向かって、「Rumi!」と声を張り上げる。
店の奥から現れたのは、18歳くらいの可憐な少女だった。
おかみさんよりは大分痩せてはいるものの、人懐っこい表情がそっくりだ。
「この子の名はRumi。よかったら、ケチュア族の聖地・サクサイワマンを案内させるけど、どうだい?」