第189話:大地を揺るがす者
2029年12月28日 ペルー・クスコ
「彼の名は、パチャクティ・インカ・ユパンキ。かつて、『大地を揺るがす者』と呼ばれた、インカ帝国の第9代皇帝なんだ」
星はそう言って、クスコの中央広場に建てられた金色の像を指差す。
像の右手には、何やら複雑な装飾が施された杖のようなものが握られており、その瞳は、遥かアンデスの峰を望んでいる。
「大地を揺るがす者……って、なんかすごい異名だね」
「ああ。15世紀に、宿敵のチャンカ族がクスコを攻撃してきた際、父親と兄が早々と逃亡したのに対して、彼はこの地に留まり、戦い続けた。その戦いに勝利した彼は、自らを『大地を揺るがす者』と呼び、第9代の皇帝に即位したんだ」
「え、お父さんとお兄さんが逃げちゃったのに、自分だけ残って戦ったの?」
星が頷く。
「うん。だからこそ、インカの歴史の中でもでも、彼は特別な英雄と目されているんだ。実際、当時は首長国に過ぎなかったインカを、このペルーのみならず、今のボリビア、エクアドル、チリ、そしてアルゼンチンの一部にまで広げ、まさに帝国へと変貌させた立役者だしね」
わたしは、創さんが見せてくれた、南米大陸の西部を覆うインカ帝国の地図を思い出す。
「それに、彼は行政者としてもすぐれた手腕を発揮したんだ。道路網を整備し、貯蔵庫を建設して食料の安定供給を図ったり、官僚制を整え、ケチュア語(Quechua)を公用語として広めたりもした。あの杖が象徴する、インティ信仰を広めたのも彼だ」
「インティ?」
「インティというのは、パチャクティが広めた”太陽神信仰”のことなんだ。ついてきて」
そう言って星は、敷き詰められた石畳を、キュッキュッと音を立てながら歩き出す。
赤茶けた建物と、艶めく石畳の中を歩くと、まるで当時にタイムスリップしたような気分になってくる。
数百メートルほど歩いただろうか。
標高が高いせいか、星の息遣いがいつもより大きく聞こえる。
やがて、目の前に、壮麗な建物が飛び込んできた。
「これが、太陽神信仰の象徴、太陽神殿だよ」
「え!?でもなんか、西洋の建物っぽく見えるけど……」
「そう。パチャクティの時代の約百年後、13代皇帝・アタワルパの時、インカ帝国がスペイン人によって滅ぼされたとき、もともとあった太陽神殿を半ば増築する形で、キリスト教の修道院が新しく建てられたんだ」
「え、壊さずに、増築したってこと? 」
今でいうリノベのような感じってことだろうか……。
ただ、キリスト教の象徴の修道院を建てるのに、他の宗教の建物を活用するっていうのも、何だか不思議な気がする。
「太陽神殿の石組があまりにも堅牢で強固だったからね。当時の技術では取り壊すこともできず、仕方なしにその土台の上に、新たに修道院が建築したんだ。つまり、この建物は、太陽神とキリストの双方が祭られている建物ってわけさ」