第187話:記憶と記録
「着陸するぜ」
そう言って、ジャックは、セスナの高度を更に下げ、ナスカの地上絵から数百メートル離れた地面へと飛行機を滑らせた。
「す、すごい。こんな滑らかに着陸できるんですね」
副操縦席で、梨沙さんが感嘆の声を上げる。
確かに、機体はわずかに上下したくらいで、ほとんど衝撃を感じなかった。
まるで紙飛行機がすいっと地面を滑りながら着陸したかのようだ。
「あの展望台に登ってみようか」
そう言って、星がセスナから降り、次いでわたしも地面に足をつける。
けど、梨沙さんは副操縦席に座ったままだ。
「あたしは、もう少しここにいるよ」
どうやら、さっきの着陸のコツをジャックに教えてもらうまでは、降りるつもりがないらしい。
ジャックが操縦席から言う。
「どうやら、君たちの女王様は、もう一っ飛びするまで満足してくれないようだな。リンと星は、先に行っていてくれ」
”展望台”と呼ばれる建物は、どちらかと言えば”物見櫓”といった趣で、錆びた鉄骨で組まれた簡素なものだった。
頂上まで登っても20メートルほどで、とても地上絵の全貌を見ることはできない。
ただ、どうやらその絵が、赤茶色の地面を削るようにして描かれていることが分かった。
「ナスカの地上絵は、小さいものを含めると、1000以上あると言われているんだ。それに、一番古いのは2500年前に描かれたと言われている」
「どうして、そんなに長く消えないで残っているの?」
ここから見る限り、そんなに深く掘られているわけでもないようだ。
「このセチュラ砂漠は、ほとんど雨が降らない上に、風が少ないから、土壌の浸食速度が極めて遅いんだ。それに、赤茶色の砂の下の土壌は、石灰質を含んでいるから、水分を吸うと保護膜のようなものを形成している」
……ふーん。
正直、分かったような分からないような説明だけど、それで2000年以上も残っているというんだから、古代の人たちの知恵はすごい。
「むしろ、現代のコンピューターの方が、記録を保存できる期間はよっぽど短い。一般のハードディスクの場合、今の技術だと50年程度が限界と言われているからね」
「え、そうなの?」
何となく、デジタルデータの方が、後世に残しやすいのかと思っていた。
「ああ。だからこそ、カイや十萌さんは、単体で機能する”物理的な人工頭脳”の研究に心血を注いでるんだと思う。もし、クラウドサーバに”意識”をアップロードしても、記録を司るサーバー機器そのものが破壊されたら、元も子もないからね」
――記録を司るもの。
わたしは、無意識の内に、あらゆるデータは、永遠に記録され続けると勘違いしていた気がする。
でもむしろ、あらゆるデータは消えゆくものだと考えた方がいいのかもしれない。
わたしは、地平に向かって動物の輪郭線を見つめた。
数千年前、この地に住んでいた人たちは、何を想ってこれだけ壮大な絵を描いたのだろう。
自らの文明が滅びてもなお、その絵だけが残るだなんて、想像していただろうか。
いや、むしろ、自分たちがいずれ滅びることを知っていたからこそ、その記録としてこの絵を残したのかもしれない。
わたしはふと、創さんの言葉を思い出す。
『リンちゃんの脳に刻まれた潜在記憶を読み取って、その思考と脳波を双子の地球に流し込む。それが、十萌さんから託されたミッションなんだ』
もしかして、わたしたち人間の脳もまた、一つの記録装置にすぎないんだろうか。
それなら、なんで、”感情”なんてものが存在するんだろう。
どうして、1000年以上前に滅びた文明を想い、とめどない寂しさが去来するのだろう。