第185話:”花を見る”街
2025年12月27日 ペルー・リマ
「みなさん、遠路、ご足労でしたね」
首都リマの空港で待っていたのは、橘環境庁長官とその閣僚たちだった。
まだ明け方にもかかわらず、橘長官自ら、創さんを空港まで迎えにきてくれたらしい。
早速今日から、日本政府の高官と同行し、ペルーの政財界の人と会うという。
長官は創さんへの挨拶を終えるとわたしのところまで歩いてくる。
「サウジやインドでのご活躍は聞き及んでいます」
そう言って、わたしに右手を差し伸べてくる。
わたしは、恐縮しながらもその手を握り返す。
その掌は、厚く、ごつごつしている。
さすが、”誰よりも早く災害現場に駆け付ける男”だ。
デスクワークだけしていたら、決して手に入らない”現場人の手”が、そこにあった。
その背後から、革ジャンに身を包んだ梨沙さんが現れる。相変わらずのボーイッシュなイケメンっぷりだ。
「さあ、リンと星は、ここで小型セスナに乗り換えだ。十萌さんからミッションがあるからな」
「ここから、セスナでインカ帝国の遺跡を見に行くんですか?」
「いや、インカよりも遥か前の遺跡だよ。いや、ま、アレは”遺跡”とは呼べないかもしれないけど……」
――アレって?
ストレートな梨沙さんには珍しく、周りくどい言い方だ。
「見てのお楽しみだ。十萌さんから、『リンちゃんには、先入観なしに、まっさらな気持ちで見せてほしい』と頼まれるからな」
そう言って、ニヤりと笑う。
隣の星の顔を見ると、どうやら既に察しているようだった。
――問い詰めたいけど、まあ、十萌さんの頼みなら仕方ない。
「12月と言えども、南半球の日射しは強い。こいつを被っておきな」
そう言って、ちょっと不思議な形状をした野球帽を、わたしの頭にかぶせてくれる。
――これって?
「ああ、アイロニクス特製のキャップだよ。こいつをつけておけば、脳波の変化が遠隔で測定できるらしい」
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「Welcome back!」
セスナの前に立っていたのは、ここまで運転をしてくれたジャックだった。
「ジェット機で行くんじゃないんですね」
「ああ、これから行く場所は、ジェット機だと速すぎるからな」
――速すぎる?
……ということは、空中から見える”何か”なんだろうか?
「そちらの女性は……」
ジャックが、バックパックを背負ってやってきた梨沙さんを見て訊ねる。
「It’s an honor to meet you, Captain Yagami(お会いできて光栄です、キャプテン八神)」
梨沙さんが、ジャックに手を差し出す。
――え、Yagami?
もしかして、ジャックって、日系なんだろうか。
だから、小錦についても知っていたのかもしれない。
「ジャック八神っていったら、飛行機乗りには憧れの存在だよ。あたしが戦闘機に興味を持ったのも、"雷光”と呼ばれた、彼の活躍を映像で見たからなんだ」
そう言えば、梨沙さんはサウジでもやたらと戦闘機に興味を持っていた。
「それに、わたしが陸自にいたころ行われた、日米合同演習の米側の指導官でもあったんだ。まあ、わたしなんて、下っ端のペーペーだったから、声さえ掛けられなかったけどな」
「いや、記憶してるよ。陸自隊の右の列の前から二番目にいた女の子だろ?」
「え!?覚えてらっしゃるんですか?」
まるで、ライブ会場で好きなアイドルに見つけてもらったファンのように、口を抑える。
「ああ、”全てを吸収してやろう”っていう気迫を感じたからな。儂はもう引退した老兵だが……。もし、良かったら、副操縦席に座ってみるかい?」
「も、もちろんです!」
梨沙さんが目を輝かす。
――普段は豪快な姉御肌の梨沙さんの、こんな女性的な表情は初めて見る。
ジャックこそが、彼女にとっての英雄なんだろう。
10分後。
朝陽とともに、セスナは離陸した。
上空から見下ろすリマの街は、夜の顔とは違って見える。
「この街って、崖の上に作られてたんですね」
「ああ、世界で最も美しい海岸線の一つだよ。まさに、花を見る街の名前の通りにね」