第170話: 天の川銀河
2029年12月25日 ポリネシア・左眼島
満天の星空の下、ヒナとわたし、星とカイが、夜の浜辺を歩き続けている。
寄せては返す波の音以外は、静寂が支配する夜の島で、”ざくっ”、”ざくっ”という白砂を踏みしめる音だけが響いている。
「ドームから出ると、こんなにも夜空が綺麗なんだね」
時間や天候が完全制御され、太陽が煌々と輝いていたドームから出た瞬間、まるで昼と夜との境界線を踏み抜いたかのような不思議な感覚に囚われた。
人の気持ちが、環境によってこんなにも変わり得るんだ……ということを実感する。
一陣の風が、潮の香りを連れてくる。
夜半になって大分気温は下がったけど、それでもまだ25度くらいの暖かさだ。
「ここが私が漂流してきた浜辺なんです」
ヒナの声が、夜の空気を通して伝わってくる。
そこには、15年もの間、潮風に晒されてきたカヌーが、天の川銀河を背に、黒い輪郭を描いていた。
「あれ、あっちの島って……」
わたしは、遠くにぼんやりと見える島影を指差す。
「ええ、あれが私の生まれ故郷、右眼島です」
「ウィルス攻撃の後、島はどうなったの? さすがに島の住民全員がいなくなれば、マスコミが騒ぐと思うんだけど……」
15年前のこととはいえ、そんなニュースは聞いたことがない。
「確かに、『住民が突如消えた』というのは当時、一部の話題にはなりました。ですが、その後、なぜか『自然災害による大規模な住民移動』というニュースが流れ、話題は立ち消えていったのです」
「それって、誰かにもみ消されたってこと?」
「もともと外部との接触がほとんどない、孤島の小さな部族でしたから、彼らとしても、情報統制はしやすかったのでしょう」
星が、眉をひそめながら言う。
「偽ニュースが、真実を覆い隠すというのは、世界のいろんなところで起こってるんだ。AIの進化で、いくらでも偽情報が生み出せる現代では、個人が判別するのは難しい」
たしかに、ディープフェイクと呼ばれる技術で、本人と見分けのつかない映像さえも生成できてしまう時代だ。
「じゃ、今もまだ無人島なの?」
「ええ。あの事件の数年後、右眼島もルカ様が買い取り、完全封鎖したんです。今、あの島にいるのは、野生の動物と、島を管理するアンドロイドやアバターたちだけです」
「それって、ルカがコントロールしてるの?」
「ええ、全権を持っているのはルカ様だけです。ただ、お忙しい身ですから……。私も、執事として、簡単なお手伝いしているんです」
――簡単なお手伝いって?
餌やりとか、そんな感じだろうか。
ヒナは掌を宙にかざして、夜空にホログラム映像を投影する。
そこには、幾百、いや幾千もの動物や鳥たちが動いたり飛んだり、あるいは寝息を立てたりしている。
「え、これってまさか、全部ヒナがお世話しているの?」
「わたしの人口頭脳は、量子コンピューターとリアルタイム接続されているんです。左眼島と右眼島の動物とアンドロイドの状態をリアルタイムに把握し、生態系を守ること――。そんなお手伝いです」