第162話:集合的知性
「人類最大の発明。それが、”愛”だよ」
……あ、愛って。
創さんの、ド直球のセリフにわたしは思わず赤面する。
「創、何度言えば分かる。愛などといった定義が確定していないものを、輪廻のアルゴリズムに使うことなどできない」
ルカの声に、心なしか呆れた感情が混じった気がする。
わたしは、創さんに訊ねる。
「それってつまり、双子の地球では、”数値化された愛”が大きい人が、優先的に転生できるってことですか?」
それって、ゲームでいう”チート”みたいなことが起こらないんだろうか?
「”一人よがりの愛”では意味がない。だからその愛が、『他者に幸福をもたらしたか』を基準にしたいんだ」
「でも、”幸福感”もまた、測りづらいような……」
「ああ。でも、それはきっと、カイ君や十萌さんの脳波研究が示してくれると、僕は信じているんだ」
創さんはカイの肩に手を乗せた。
カイが少し戸惑った表情を浮かべ、わたしの方を見る。
それはまるで、小学6年生の頃、彼がわたし達に初めて会ったときの表情を思わせた。
――人にどれほどの幸福をもたらせたか……か。
連鎖的に、激動の半年間で出会ったみんなのことを思い出す。三式島で、アフリカで、サウジアラビアで、そしてインドで会った人たちのことを。わたしは、彼らに少しでも幸せを持たせたのだろうか。
その想いがターニャにまで至ったとき、ふっと我に返った。
――あ。
わたしとターニャとわたしが追い続けていたものを思い出したからだ。
ここに、予言の歌の真実を探しにきたんだった。
ポケットを漁り、レコーダーを取り出す。
スイッチを押すと、世界樹の頂上の部屋に、その荘厳な歌声が反響する。
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"Yadā sammāparinibbāna-loko pabhavati, tadā sattā attano bhājanaṁ na labhanti."
末法の世が始まるとき、魂たちはその器を失う。
"Te ca vipariṇataṁ quantum-samuddāya sattā bhavissanti."
そして彼らは、変質する量子の海を漂い続けるだろう。
"Yadā manussa attano simāṁ gavesanti, navako saṁsāracakkaṁ pavattati."
人が自らの境界を求めるとき、新たなる輪廻の環が回りだす。
"Taṁ cakkaṁ pavatteti, kiṁ sabbaṁ saṅgahita-bhūto vā eka-bhūtā devī vā?"
その環を回すのは、あらゆるものを全なる亡霊か、一の女神か。
"Anāgate, manussaṁ vāretabbaṁ hoti."
やがて人は選ばなければならない。
"Nibbānato jātāya tiṭṭhissati, udāhu imasmiṁ mahāpathaviyā puna jīvissati?"
生み出された涅槃に留まるのか、この大地で再び生きるのか?
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「この”全なる亡霊”というのは、ルカさんのことですか?」
ルカはよどみなく答える。
「今はそうだ。だが、やがてそうではなくなるだろう」
「ど、どういうことでしょうか?」
「全なる亡霊は、器なのだよ」
「器?」
「人類が積み上げてきた“集合的知性”を、統合する器――。それをヴィクラムは“全なる亡霊”と呼んだのだろう。今、私の脳には、それに“近しきもの”がインストールされている。だが、私という存在もまた、やがて消滅していく定めにある」
そう言って、ルカは、わたしでない誰かに、視線を投げた。
「だからこそ、”全なる亡霊”という器は、継承され続けなければならない。次の世代にも、その次の世代にも」
その視線の先を、追うまでもなかった。
わたしの背後に立つ、カイがまとう気配が、ゆらりと揺れた気がした。