第16話:脳波とガールズトーク
「脳波でアバターを動かすのなんて、完全にド素人なんですけど……」
フルマラソンよりキツイ――と聞いて、思わず怯むわたし。
十萌さんが、慰めるように言い添える。
「あ、ちょっと脅かしちゃったかしらね。もちろん、個人差もあるわ。エリーみたいに、割とすんなり動かせちゃった子もいるから」
そこにすかさず、カイが余計な口を挟む。
「まあ、エリーは例外だよ。脳波伝達率が、歴代プレーヤーの中でも群を抜いているから」
――の、のうはでんたつりつ?
「脳波伝達率って、どういう意味?」
以前、アメリカでカイと星も話していた気がするけど、今だによく分からない。
十萌さんが「解説するわ」と目を輝かしだす。
「例えば、脳が100の動きの指令を出したとするわね。でも、その指令が、5%しかアバターに伝わらなかったとしたら、その場合、脳波伝達率は5%ということになる。つまり、高ければ高いほど、自在にアバターを動かせる。ここまではいいかしら?」
「……は、はい」
「でもその率には、個人差があるの。伝達率がほとんど0に近い人も多い中、エリーは30%を超えているの。平均が3%くらいだから、これは快挙といってもいいわ」
理系女子に技術を語らせると、止まらないというのは本当のようだ。
ベタ褒めされたエリーは、隣で居心地が悪そうに顔を赤らめている。
――ま、やる前にいろいろ悩んでいても仕方ないか。
わたしは、エリーの方に向き直り、敬礼する。
「エリー先輩、色々教えてください!」
エリ―は慌てて、手をぶんぶん振る。
「わ、わたしだって、動かしたことがあるのは子猫のアバターだけだもの。人の等身大のアバターは一度もないわ」
十萌さんも言う。
「アバターが大きくなればなるほど、より強い脳波の力が必要になるからね」
エリ―が澄みきった瞳を私を見つめる。
「でも、わたしは、リンちゃんなら絶対できるって信じてるわ」
――正直、自信はない。
だけど、何でもやると言ってしまった手前、今さら退くわけにもいかない。
そんなわたしの葛藤を見抜いたかのように、十萌さんが続ける。
「始めは慣れるのに時間がかかるわ。だから、まずは初心者向けプログラムを用意しているから、安心して」
「初心者プログラムって?」
「簡単に言うと、格ゲーよ」
「格ゲー……って、あの格闘ゲームのことですか?ストリートファイターとか、鉄拳とかの」
「そう、それそれ。まずは、ゲームのキャラを、脳波で動して他のメンバー対戦するの」
もっと、科学実験的なものを想像していたから、ちょっと意外だった。
格ゲーなら、引きこもり時代に星とやりこんでいたから、少しだけ自信がある。
「質量のあるリアルアバターを動かすには、より強い脳波が必要だから、いきなりやると疲労が激しいの。それこそマラソンレベルにね」
そう言って十萌さんは微笑む。
「でも、デジタルのゲームキャラであれば、リアルアバターを動かす場合とくらべて、10%くらいの疲労度で済むわ」
確かに、マラソンの10%であれば、距離にして4キロ程度だ。
「なんとなく、わたしにもできそうな気がしてきました」
そう言うわたしに、十萌さんはにっこりと微笑む。
「それは良かったわ」
「なら……」と言って、十萌さんはカバンから、分厚い書類とボールペンを取り出す。
「じゃ、このバイトの承諾書にサインしてね」
「は、はあ……」
普通のバイトの承諾書にしては、いかにもぶ厚すぎる。
なんか、大学に入学したての頃、怪しい勧誘を受けたときのパターンに、似てる気がしないでもない。
――まあでも、世界有数の金持ち企業が、まさかバイト生活のわたしからぼったくりはしないだろう。そう思い、ペンを取り名前を書く。
――それにしても、とわたしは思う。
十萌さん、カイと働くより、謎の壺でも売っていた方が絶対稼げる気がする。
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わたしは360度にカメラが設置されている撮影室に案内されていた。
そこで、体全体と、竹刀がくまなくスキャンされる。
そのデータをAIに読み込ませ、数時間もすれば、わたしそっくりのゲームキャラデザインがされるというのだから驚きだ。
その後は、延々と脳波の検査を受ける。
どうやら、脳の構造や固有の脳波パターンを調べるらしい。
気が付けば、時間は夕方5時を回っていた。
全く動かないでいることも、存外疲れがたまるものだ。
「お疲れ様!」
と十萌さんが、冷たいジュースを差し出してくれる。
「すごく興味深いデータがいっぱいとれたわ」
と嬉しそうに言う。
「特に、あの脳波のパターンなんて、今まで見たことなかった。最高よ、リンちゃん!」
付き合っていくうちに、十萌さんの理系オタクとしての本性がだんだんと露わになってくる。
「ここから先の調整にはちょっと時間がかかるから、後は私たちが作業するわ。明日から本格的に実験に参加させてもらうから、今日はゆっくり休んで」
わたしは、エリ―たちが住むドームの中の一室をあてがってもらった。
どうやら、この広い空間に、数十もの個室が存在しているらしい。
「あ、そういえば!」
十萌さんといっしょに、ドーム室から出ようとするカイに声をかける。
「星って、今日島に来るはずじゃなかったっけ?」
カイの表情がわずかに曇る。
「さっき連絡があった。星のお父さんが合流するのを待って出発するらしいから、1週間後くらいになるらしい」
――え、創さんと一緒に?
創さんは、今、チリかどっかに、長期の地層調査に出かけていたはずだ。
それを中断してまで三式島に来るなんて、何か重大な事件でも起こったのだろうか?
気にはなる。
……けど、わたしには今、何よりもやるべきことがある。
エリーと別れていた間の記憶を、埋め合うことだ。
失われた10年を取り戻すように、ガールズトークは明け方まで続き、わたしたちは揃って寝不足になる。
でも、もちろんそこには一片の悔いもない。