第155話:始まりの島へ
2029年12月25日
――あれ、島が二つある……。
夕暮れのポリネシア海域を飛ぶ飛行機の中で、わたしは思わず呟いた。
窓からは、夕日に染まる、連なる二つの小島が見える。
「なんだか、人間の目みたいですね」
隣に座っている、創さんに話しかける。
「まさにそうなんだ。右の島は現地語で『右眼』を意味するmāta taumatau、もう一方は『左眼』、つまりmāta tauagavaleと呼ばれているんだよ」
「どっちが目的地なんですか?」
「左側の左眼島だよ。右眼島は、すでに完全な無人島だから」
「あと5分ほどで着陸します」
サングラスをかけたパイロットが、わたしたちに声をかけてくれる。
世界最大のAI企業・アイロニクス社保有のプライベートジェットは、カイ、創さん、星、そしてわたしの4人だけで使うにはもったいない程の広さだ。
「公にはされてないけど、ルカ個人が持つ島は、世界に十以上はある。入島には厳密な認証が必要で、いずれも、彼のプライベートジェットでしかアクセスできないんだ」
――『大統領や首相でも会えない』というのはそういうことだったのか、と思わず納得する。
本土にいれば、さすがに、政府要人を避け続けるのは難しいだろうから。
一昨日、わたしから『亡霊に会いたい』という連絡を受けた後の、カイの動きは速かった。
ヴィクラムに刺された話を伝えると、さすがに絶句していたけど、その経緯を伝えると、すぐにあらゆる予定をキャンセルして、アポを取ってくれた。
更には、ちょうど成田からブラジルに向かおうとしていた創さんと星を捕まえ、急遽同行してもらうことになった。
――何だが大事になってしまった。
ちょっとだけ悔いたけれど、それ以上にほっとした気持ちの方が大きい。
天才・ヴィクラムの意識を呑み込み、古今東西の知恵を取り込んだというルカ・ローゼンバーグに、わたし一人で対峙して、何かができるとは思えなかったから。
わたしは、カイの横顔を見る。
その表情は、自分の親と会うのだとは思えないほどに固い。
――というよりも、唯我独尊のカイが、恐らく唯一緊張する相手なんじゃないだろうか。
そんなことを思いながら、わたしは再び窓の外に目をやる。
――ん?
眼下に、滑走路らしきものはなく、あるのは生い茂る木々とゴツゴツとした岩肌だけだ。
飛行機は迷わずそのままに突っ込んでいこうとしている。
もしかして、三式島の研究所のように、ゴゴゴゴと大地の扉が開くのだろうか……。
しかし、一向にその気配がないまま、飛行機は着陸態勢を取り始める。慌てて、パイロットの方を見ると、彼は、あろうことか、操縦桿からその手を離し、呑気にスマホを見ている。
ちょ、ちょっと待って!
いよいよ飛行機が岩に激突する―――と思った瞬間。
機体が、岩壁をすり抜けていった。
次の瞬間、着地の衝撃とともに、わたしの見えている景色は一変していた。
そこには、近代的な滑走路が広がっていた。
唖然としているわたしに、星がいたずらっぽく言う。
「偽装ネットとホログラフィーを組み合わせた、カモフラージュだよ。上空からも、島の内部を見られないようにするためだろうね」
――は、早く言ってよ。
「僕も聞いてなかったんだよ。ま、でも、カイが僕たちを傷つけるようなことをするはずないからね」
そう言って、星はカイの肩に手を置く。
何を当たり前のことを……。とでもいう風に、カイはわたしたちを冷ややかに一瞥する。
その表情が、8年前、まだ小学生のカイが初めて七海家を訪れてきたときを思い出させ、なんだか懐かしさがこみ上げてくる。
***********
「この機種は、どうやら完全自動運転みたいだね」
運転手は、相変わらず申し訳程度に手を添えているだけで、機体は静かに格納庫らしき場所に収納されていく。
2029年のこの時代、自動車での自動運転は、一部エリアで解禁されている。けれど、それが飛行機にまで、取り入れられているとは知らなかった……。
格納庫は、異様なほどに静かで、ただジェット機のエンジン音だけが響いている。
ようやく人影を見かけたと思ったら、それは足のないタイプのロボットで、地面を滑るように走り回っている。
やがて、機体が完全に静止すると階段が降ろされる。
――ここが、ヴィクラムの手記に書かれていた場所かぁ……。
やはり実際にこうして来てみると、その内容が、より一層現実味を帯びてくるように感じる。
「ようこそいらっしゃいました。執事のヒナと申します」
バックを持って地面に降りたった瞬間、突然、声をかけられた。
振り向くと、綺麗な小麦色の肌と、後ろで束ねたカーリーヘアの女性が立っていた。
鮮やかな花柄の衣裳からして、ポリネシアの先住民だろうか……。
――いや、違う。
ぱっと見では、人間そのものだけど、生命体が持つ”独特の気配”が感じられないのだ。
「あんな精巧な人型ロボット、初めて見た……」
隣で星も、感嘆の声を上げている。
「お荷物、お預かりしておきますね」
戸惑っているわたしに、自然な笑顔で言うと、4人分の荷物を軽々と持ち上げ、脇に置かれているカートのようなものに載せる。カートは、すぃっと音もなく自走し、別の部屋に入っていった。
そんな様子を隣で見ていた星が、興奮気味に呟く。
「すごいな、ほとんど不気味の谷を超えてる……」
「不気味の谷って?」
「多くのヒューマノイドって、表情が乏しいから、人間に似せて作れば作るほど、どうしても不気味さが出てしまうんだ。ただ、彼女は、人間の40以上の表情筋の動きまで再現することで、ほとんど人間に近い表情をしている」
――さすが、自らロボット開発に携わっている星だ。わたしとは見るところが違う。
そんなヒナに連れられ、白色の壁に囲まれた狭い部屋に入る。
「目をおつぶり下さい」
――ん? と思いつつも、その指示に従うと、部屋のミストのようなものが吹きかけられ、その後、黄色の光線と熱風がわたしたちを覆った。
「これって……?」
創さんが解説してくれる。
「滅菌しているんだ。この中の生態系に、できるだけ影響を与えないようにね」
――生態系?
「ああ、この扉の先には原始の自然と生態系が残されている。この場所で、人類生存のための計画が始まったんだ」