第154話:亡霊の正体
死の直前、倒れかかってきたヴィクラムは、確かにわたしにこう囁いた。
『亡霊に、XXXXXXXXXXに気をつけろ』
消え入りそうな声だったため、確信は持てなかった。
けど、ヴィクラムの手記を読み進めるにつれ、その疑念は確信へと変わったいた。
――いや、たぶんわたしは、単に信じたくなかったんだ。
だけど、今やあらゆる状況証拠が、彼こそが亡霊なのだと物語っている。
「で、誰なんだ。その亡霊の正体は?」
梨沙さんが焦れたように訊ねてくる。
わたしは、一度、深く息を吸い、その名を口にした。
場の空気が、凍った。
まるでその場にだけ、一足先に氷河期が訪れたように。
**********
2029年 12月23日
あれだけ検査をしたにもかかわらず、結局、わたしの脳や身体からは何の異常も発見されなかった……らしい。
……というのも、ほとんどの医者にとっても、脳という分野はそれだけ判断が難しい領域らしい。
医者は、パソコンモニターに、脳の立体的な映像を映し出しながら言う。
「この赤いラインの部分が、今回、銀の針が刺された箇所です。三本の内、一本は海馬にまで至っていました。一歩間違えれば、半身不随になるところでしたよ」
わたしは思わず、身震いする。
「で、でも何ともなかったんですよね……」
「少なくても表面上は……です。ヴィクラムさんが、脳外科医であったのが幸いし、極めて、絶妙な角度で刺されています。だから、後遺症などはないようですが……」
その医師は、かつて伝説的な外科医だったヴィクラムの論文に触れたことがあったらしい。刺したこと自体には反発を覚えつつも、そこはかとなく先輩への敬意が感じられた。
――とりあえずは、良かった。
けど、まだ謎は残っている。
わたしは、思い切って訊ねてみた。
「以前、ヴィクラムと会って、人生が変わったという人がいます。今は、天才的な歌い手となっているのですが……」
わたしはジャイールを思い浮かべながら言う。
「仮に、彼の脳の一部を”いじる”ことで、特定の脳波を強化することは可能ですか?」
医者は、意図を探るようにわたしの表情を伺う。
「例えば……、どんな?」
「相手の動きを、制御するような……」
わたしは、ヴィクラムが、テロリストを跪かせた時のことが脳裏をよぎる。
「不可能とはいえません」
医師は慎重に言葉を選んで答える。
「近年の研究で、特定の波、例えば電磁波を相手の脳に照射することで、相手の動きを制御できるという研究結果が出ています。わたしのような一般の医師には、到底分からない領域ですが……」
――もし、ヴィクラムが、ジャイールに対し、何らかの外科手術を施した……というのであれば、彼が強力な脳波操作力を身に着けたのも、一応の説明がつく。
「では、ヴィクラムが、あの銀の針を刺すことで、わたしの脳に何かを施した……という可能性はありますか?」
医者は沈黙する。
「……それは、ヴィクラムさんご本人にしか分かりません。ただ、私見を述べさせてもらうと……。人を救う脳外科医が、無意味に脳をいじることはあり得ません。そこには、必ず何らかの”意図”があったと考えるべきです」
ヴィクラムの、今際の際の言葉が再び蘇る。
彼は、一体、わたしに何をして欲しかったのだろうか。
「いずれにせよ、この病院の設備では、中長期的な影響まで調べるのは不可能です。電子カルテをお渡ししますから、より先端設備を備えている病院で検査することをお勧めします」
医師は、そう言うと、わたしに退院の許可を出してくれた。
**********
医師の問診室から出ると、梨沙さんが外に立っていた。
検査結果を聞くと、安堵のため息らしきもの吐き、こう聞いてくる。
「で、これから、どうする? あの男にだけは、風間首相でさえも会えないはずだ」
「これまで通り、直球でいきます。わたしには、それしかできないですから」
既に腹は決めていた。
自分よりも、遥かに強大な相手に対して、小細工をしても仕方がない。
「それより、ターニャのこと、よろしくお願いしますね」
「ああ、彼女の進路は、日本政府が責任を持って支援する。国内だろうと、国外だろうと、どこの大学にだって入学させてやるよ。ま、あれだけ真面目で優秀な子だ。学費さえ工面できれば、きっとどこでだって活躍できるだろうよ」
どうやら、既に梨沙さんは、ターニャと話をしていたようだ。
思いもよらない話に、彼女は嬉し涙でその瞳を輝かせながら、母親と、修道院長に報告したらしい。
梨沙さんに丁重にお礼を言い、その場を離れると、わたしは人気のない廊下の突き当りまで歩いていく。
そこでサラを起動し、こうお願いした。
「カイに伝えて。亡霊に、ルカ・ローゼンバーグに会わせてほしいと」