第148話:銀の針
仏塔の中は、巨大な空洞だった。
先頭のサティヤさんが懐中電灯で足元を照らし、わたし達が後ろについていく。
奥の方から、いくつかのゆらめく小さな炎が見える。
月光さえも差し込まぬ中、かろうじて光を発しているのは、その香油の上を揺らめく炎だけだった。
恐らく、ヴィクラムが持ち込んだんだろう。
わたしたちが、暗闇の最奥をライトで照射すると、壁面に、人影が横に長く映る。
どうやら座禅をしているようだった。
反射光で赤い瞳がゆらめく。
相応の年輪が刻まれているものの、肌も髪も、雪のように白い。
――ヴィクラムだ。
「光を消せ」
その声が仏塔中に響き渡る。
ただ、空洞を反響しているのはない。
直接、脳内を突きさすような強制的な響きを持っている。
ジャイールと同じ脳波操作がなせる業だろう。
わたしは、再びゾーンに入る。
警戒を解くなと、本能が告げている。
わたしたちがライトを消すと、やがて彼は目を瞑り、座禅に戻る。
再び光は、香油の上のゆらめきだけとなる。
ヴィクラムの蒼白な顔が、あたかも亡霊のように浮かび上がる。
その顔にも、瞳からも、生気がまるで感じられない。
――あれは、何だろう。
わたしは彼の傍らに置かれているものに目をやる。
そこには、一冊のノートらしきものと、一口のお椀だけがあった。
そのお椀にわずかに浮かんでいるのは、キノコか何かのかけらだろうか。
いや、まだある。
目を凝らすと、香油の光に照らされるように、30cmほどの銀の針のようなものが数本、まるで数筋の月光のように煌めいている。
サティヤさんが、ヴィクラムに強い口調で問う。
「いつ、ここに侵入してきたんだ?」
「一体何のために……」
……が、その一切に、彼は反応を示さない。
ターニャが、わたしに静かに耳打ちする。
「彼から、すでに死を受け入れた人の気配がします」
”死を待つ人々の家”で働いた彼女は、そうした気配を感じ取れるのだろう。
わたしも頷いた。
そう、おじいちゃんと過ごした最後の一日に感じた、気配と一緒だった。
もし、人生の最後の時に、赤の他人と会話したいと思うとすれば、最も心に残っていることだけだろう。
わたしは、バックパックからレコーダーを取り出し、ボタンを押す。
ジャイールの詠唱が、響き渡る。
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末法の世が始まるとき、魂たちはその器を失う。
そして彼らは、変質する量子の海を漂い続けるだろう。
人が自らの境界を求めるとき、新たなる輪廻の環が回りだす。
その環を回すのは、全なる亡霊か、一なる女神か。
やがて人は選ばなければならない。
生み出そこから、された涅槃に留まるのか、この大地で再び生きるのか?
一なる女神は、次なる世界で運命を共にする者たちと再び出逢う。
やがて、一が全に、全が一になったとき、第三の道が拓かれよう。
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ジャイールは、不意に眼を見開いた。
そして、「お、おお……」と絞り出すように声を出した。
「まさか、一なる女神というのは……」
この世でない場所を見ていたその瞳に、僅かながら生気が宿る。
ヴィクラムが、わたしを手招きした。
「顔を」
深紅の瞳とその声に、抗いがたい圧力を感じ、なすがままに顔を彼の傍に寄せる。
刹那。
彼の手が、銀の針に伸びた。
気が付くと、わたしの脳に、銀の針が深く突き刺さっていた。