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火と氷の未来で、君と世界を救うということ  作者: 星見航
第13章:インド・新たなる輪廻の環【2029年12月8日】
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第143話:境界線の内と外

挿絵(By みてみん)


「仏教では、”意識は独立して存在するのではなく、身体を含めたあらゆるものとの相互作用から生じる”と述べています。つまり、エジプトの”心臓説”でも、ギリシャの”脳だけ説”でもなく、外部環境を含めたあらゆるものが、意識の成り立ちに影響しているのです」


 当時、エジプトともギリシャとも直接交流がなかったであろうインドで、独力でその考えに至ったとすれば、ブッダという人はどれだけ先見の明があったのだろう。


 わたしは、改めて、ジャイールの歌詞が書かれたページを開く。


『末法の世が始まるとき、魂たちはその器を失う』

 →”あるべき教え”が忘れ去られ、終末的世界が訪れるとき、人々の身体は失われ、魂もしくは意識だけが残るだろう。


『そして彼らは、変質する量子の海を漂い続けるだろう』

 →”身体”という器を失った人々の意識は、量子コンピューターが生み出す電脳の海を漂い続けるだろう。


 ここまでは何となく分かった。

 最大の謎はここからだった。


 ーーーーーーーーーー

 人が自らの()()を求めるとき、新たなる輪廻の環が回りだす。

 その環を回すのは、全なる亡霊か、一なる女神か。

 ーーーーーーーーーー


「そもそも、この”境界”って、何と何の境界なんでしょうか?」


 サティヤさんが、うーんと唸る。


「ここは様々な解釈が可能ですが……。ただ、前の一文が”電脳の海で、『身体を失った人々の意識が漂っている』と述べている以上、『()()()()()()()()』と捉えるのが妥当かもしれません」


 ――ブッダガヤで、シャルマさんがこれを『預言の歌』と呼んだ理由が良く分かる。

 たいていの場合、預言というのは、さまざまな解釈ができるのものだろうから。


「ただ、仏教的というよりは、むしろキリスト教的な印象を受けます」

「そ、そうなんですか……」


「仏教の究極のゴールは、”『自己』に囚われない”無我の境地”を目指すこと”なんです。一方で、キリスト教は真反対で、『唯一無二の魂』、つまり『固定する自己の重要性』を説いています」


「だからこそ、この、”自らの境界を求める”という行為は、固有の自己というものを肯定するキリスト教に近い考え方です」


 隣では、キリスト教徒のターニャが深く頷いている。


「じゃあ、その後の『新たなる輪廻の環が回りだす』という部分も、キリスト教的なんですか?」


「いえ、現代のキリスト教では、転生を否定しています。死後は、『一度死んだら別の肉体に生まれ変わるのではなく、天国・地獄・煉獄のいずれかに行く』という考えですから。つまり、一文の前半がキリスト教的であり、後半が仏教的なのが、解釈が難しいところです」


 確かにアローカさんも『仏教思想を軸としながらも、ヒンドゥー教、キリスト教をはじめとする、複数の宗教上の概念が混在一体となっている』と言っていた。


「ヴィクラムさんは、恐らくその類まれな頭脳を使って、様々な宗教を学んだんでしょう。ただ、それは、決して信心から来るものではなく、”()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()()”ようにさえ思えます」


「じゃ、次の行の『その環を回すのは、全なる亡霊か、一なる女神か』というのは、どの宗教の概念なんでしょうか?」


 わたしの問いに、サティヤさんの目がきらりと輝く。

「はい、それこそが最大の謎なんです。まず、”霊”に近い存在としては、キリスト教で言う”精霊”、イスラム教でいう”ジン”などが存在します。ただ、”亡霊”となると、ネイティブアメリカンや日本仏教での”先祖の霊”の概念に近い気がします」


 ――む、難しい。

 一体、彼の詩の中には、いくつの宗教が登場するんだろう。

 わたし一人では、絶対に読み解けなかった。


 そこまで言うと、急にサティヤさんは、宙を見つめながら、何かを呟き始めた。

「ただ、”全”となると……。いやでもそれだと、一の解釈が……」


 彼は、思案気に顎に手を当てその場を行ったり来たりし始める。

 そして、「付いてきてください」とだけ言うと、ぶつぶつと呟き続けながら、どこかに向かって歩き始めてしまう。


 たぶん、過度に集中すると、自分の世界に入り込んでしまうタイプなんだろう。理系女子(リケジョ)モードに入ったときの十萌さんに、どこか似ている。


 ただ、サティヤさんみたいな秀才でも、やはり脳を動かすために、自然と身体を動かしてしまうんだ……と思うと、妙な親近感が湧いてくる。結局、わたしも、心よりも身体が先に動いてしまうタイプだから。


 なるべく思考の邪魔をしないように、ずんずんと進んでいくサティヤさんの後を、少し距離を取ってわたしとターニャが追う。


 長閑な田舎の道を歩き、木々の間を分け入り、林を抜けた時。

 突如視界が開け、わたしたちの前には、大振りなレンガ造りの建築物が現れた。

 

 高さは15メートルほどだが、横は30~40メートルくらいの横長な構造だ。


 ――なんだか、昔、教科書で見た古墳みたいだ。


 ようやく足を止めたサティヤさんが、気が付いたようにわたし達に声をかけてくる。

「ここはラームバール仏塔(ストゥーパ)と呼ばれる、ブッタが火葬された場所です」


挿絵(By みてみん)

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