第139話:魂、あるいは意識と呼ばれるもの
「え、あのアインシュタインが?」
数々の革命的な発明を成し遂げた20世紀最高の科学者……ってことはわたしでさえ知っている。
爆発しそうな白髪と、豊かな口髭、そしてどこかいたずらっ子を感じさせる瞳の写真を、見たことない人の方が珍しいだろう。
だけど、『具体的に何を発明したのか?』って聞かれると、ちょっと困ってしまう。
「たしか、相対性理論っていうのを発明したんだっけ?」
わたしはサラに訊く。
「うん。1905年、アインシュタインは、特殊相対性理論だけでなく、質量とエネルギーの等価法則、そして”光量子仮説”といった、重要な論文を次々と発表したんだ。人類の科学レベルを一気に押し上げたその年は、”奇跡の年”って呼ばれている」
――へぇ。
正直、内容はよく分からないけど、奇跡というからには、よっぽどすごいことだったのだろう。
「しかも、その当時、アインシュタインにとって、科学論文は副業みたいなものだったんだ」
「え、そうなの?」
「当時は就職難で、研究者としては採用されなくて、スイスの特許審査庁で働きながら、これらの革命的な論文を書いていたんだ」
――アインシュタインを落とすなんて、採用側の見る目がなさすぎる……。
サティヤさんも、会話に加わってくる。
「数々の研究の中でも、ノーベル物理学賞を取ったのは、量子力学の論文の方だったんです」
「え、相対性理論じゃなくて?」
「ええ、それほどまでにこの論文は画期的でした。特に……」
どうやら専門的な方向に進みそうだったので、わたしは一旦話を戻すことにした。
「サティヤさん、この二行って、どう解釈すればよいのでしょうか?」
『末法の世が始まるとき、魂たちはその器を失う』
『そして彼らは、変質する量子の海を漂い続けるだろう』
「わたしも完全に意図は分かりませんが……。一つ一つ読み解いていきましょう」
そう言って、紙の上に書き出してくれる。
「まず、一行目の”末法”ですが……。これは、大乗仏教の教えで、世の中は、以下のように、正法、像法、末法の世という風に移り変わると言われています」
①正法:仏の教えが正しく理解され、修行と悟りが可能な時代。
②像法:仏の教えは残るが、実践が形骸化し、悟る者が少なくなる時代。
③末法:仏の教えが忘れ去られ、世の中が乱れる暗黒時代
「あ、暗黒時代ですか……」
「はい。”末法”という表現自体は、仏教的なものですが、例えばキリスト教などにも、「終末論(Eschatology)」という、似たような考え方が存在します」
確かに、そういった終末思想は、日本でもしばしば耳にする。
「次に、『魂』という表現ですが、これはさまざまな宗教で見られます。キリスト教では”Soul"、イスラム教は"روح" 、ヒンドゥー教では"आत्मन्"、日本の神道では”霊魂”という表現が使われているかと思います」
――確かに、うちのおばあちゃんも、毎年お盆には、茄子やキュウリに、割り箸の足をつけて、先祖の霊を祀っていた。
幼いわたしが、興味津々に訊ねると、「これは”精霊馬”といって、ご先祖様たちが浄土と現世を行き来するための乗り物なんだよ」と教えてくれた。
「一方で、仏教においては”魂”の捉え方は少し異なります。”無我論”というのですが、”不変な魂というものは存在せず、常に変化し続ける”意識”のみ存在するとしているのです」
「え、そうなんですか?」
「はい。ですから、仏教的解釈を取るのなら、ここで言う”魂”というのは、”意識そのもの”を指す可能性もあります」
「器というのは、魂もしくは意識の器、つまり”身体”のことだと思われます。ですから、『末法の世が始まるとき、魂たちはその器を失う』という一文は、こう解釈できます」
そう言って、サティヤさんは小さく息を吐いた。
「”あるべき教え”が忘れ去られ、終末的世界が訪れたとき、人々の身体は失われ、意識だけが残るだろう」
もし、創さんやカイから、氷河期と連鎖噴火の話を聞いていなければ、よくある終末論として、聞き流すこともできただろう。
けれど、その災厄が確実に近づいてきていることを、もうわたしは知ってしまっている。
わたしは、徐々に背筋が冷えていくのを感じていた。