第137話:ガンジスのほとり
「ここは、シク教徒の聖地なんです」
青空を背景に白く輝く荘厳な建物を指しながら、ターニャが言う。
わたしたちは、ブッダガヤから北に200kmほど行ったパトナに降り立っていた。
ブッダガヤから、クシナガラまでの直行バスはない。
そのため、このパトナという都市で一度降り、夜行バスに乗り換える必要があるとのことだった。
――焦っても仕方ない。
そう自分に言い聞かせながら、夜行バスが来るまでの間、辺りを歩いていると、不意に現れたのが、この”パトナ・ヒサブ”と呼ばれる壮麗な建築物だった。
「サラ、シク教について教えて」
「15世紀に、インドのパンジャーブ地方で生まれた宗教だよ。グル・ナーナクという教祖が、ヒンドゥー教とイスラム教の影響を受けながら創始したって言われている。信者は2000万人以上と言われているんだ」
「へぇぇ。でも、既にその頃には、インドにはたくさんの宗教があったのに、どうして広まったの?」
2500年の歴史を持ち、”世界宗教”と言われる仏教でさえも、インドでは少数派に追いやられるほど、この国の宗教は競争環境が厳しいのだ。
「いくつか要因はあるけど、カースト制度を否定したことが大きいって言われている。インドで、最上位カーストと言われる”ブラフマン”は、総人口の5%程度だからね」
――そうか。
確かに、それであれば、意図せずして下のカーストに位置付けられた人々の支持は得やすいかもしれない。
「そんなの学校で習ったことなかった……」
わたしは思わず呟く。
もちろん、世界三大宗教が、「仏教、イスラム教、キリスト教」だってことくらいは、学校の授業で習ったことはある。ただ、このインドに来て驚いたのは、多くの宗教が、それぞれ独立しているのではなく、互いに影響を与えているという事実だ。
「一時期は全土に広まったかに見えた仏教がインドで廃れたのも、ヒンドゥー教が、仏教の要素を取り入れたこともあるんだ。何て言ったって、仏教の開祖であるブッダを、ヴィシュヌ神の化身と解釈しているからね」
「え、そうなの?」
「ああ、ヒンドゥー教はかなり柔軟なんだ。とはいえ、ヒンドゥー教が多神教である以上、相違点もたくさんある」
「私と母はクリスチャンですけど、亡くなった父親はヒンドゥー教徒だったので、それは家庭内でも感じていました」
ターニャの笑顔が微妙に愁いを帯びる。
父が巻き込まれた親族との諍いについて想い出しているんだろう。
「でも、マザーテレサの建てた”死を待つ人々の家”でボランティアをしていて、気づいたんです。ほとんどどの宗教も”愛の大切さ”を訴えている。ただ、その解釈や説き方が異なってるんだって」
「確か、ノーベル平和賞までもらったんだもんね」
それは、彼女が他の宗教家からも、幅広く尊敬を集めていた証左だろう。
「そのとき、マザーテレサはこう言ったんです。『私はノーベル平和賞にふさわしい者ではありません。けれど世界中の貧しい人々に代わって、この名誉ある賞をいただきます』――と。わたし、それを聞いて、あそこで働こうと思ったんです」
30年前以上に、87年の生涯を終えた彼女の意思は、こうして、現地に生きる17歳の少女に受け継がれている。
わたしは、ふと、思った。
もし、マザーテレサがまだ生きていたら、どうなっていただろう。
ターニャみたいな子が増えて、世界は、もう少しだけ平和だっただろうか。
聖殿から出ると、不意に目に入ってきたのは、夕焼けで金色に輝くガンジス川だった。生き物も、食べ物も、死骸や遺灰でさえも、全てを包容し、流れ続けるこの悠久の大河は、まるでインドそのものを象徴しているようだ。
わたしとターニャは、夕日が宵闇に溶けるまで、そのほとりを歩き続けていた。