第136話:中道
宿から荷物を取ってきたわたしとターニャは、結局、バスが発車する時間ギリギリまで、シャルマさんに話を伺うことにした。
わたしが、とりわけ気になっていたのは、ヴィクラムのメモのこの一節だった。
「『想像もしなかった。私の実験が、まさかあんな亡霊を生み出してしまうとは……』――。こう、十数年前に書いている以上、この”全なる亡霊”っていうのは、”今の現実世界に存在する何か”ってことですよね?」
シャルマさんが、自信なさげに「恐らく……」とだけ答える。
「じゃ、”全なる亡霊”というのが、一体誰を、あるいは何を指しているのか、心当たりはありませんか?」
「いいえ……。ブッダは、創造主的な存在については触れていません。輪廻は、遥か昔からある、業がもたらす世界の理だと、捉えていたようですから」
――もしそれが今までかつての輪廻だとするならば、新たな輪廻というのは一体何なのだろうか?
「じゃ、”一なる女神”っていうは……?」
「仏教上、菩薩などが女神として扱われてはいる例も確かにあります。ただ、亡霊との対比的存在としては描かれていません……」
――ただ、とシャルマさんは続ける。
「経典は読めても、ヴィクラムさん自身は、仏教に帰依していたわけではないので、もしかしたら、”全なる亡霊”も、”一の女神”も、仏教の枠外の存在という可能性もあります」
謎が謎を呼び続け、頭が混乱してくる。
わたしは、文字でぎっしりになったメモを改めて読み返す。
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【ヴィクラムの予言の歌】
末法の世が始まるとき、魂たちはその器を失う。
そして彼らは、変質する量子の海を漂い続けるだろう。
人が自らの境界を求めるとき、新たなる輪廻の環が回りだす。
その環を回すのは、全なる亡霊か、一なる女神か。
やがて人は選ばなければならない。
生み出された涅槃に留まるのか、この大地で再び生きるのか?
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そもそも、この詩自体が謎だらけだ。
わたしは、疑問を順番に書き出してみる。
①魂の器とは何か?
②量子の海とは何か?
③全なる亡霊とは何か?(そもそも人なのか?)
④一なる女神とは何か?(これも人なのか?)
⑤新たなる輪廻の環とは何か?
⑥そこに、ヴィクラムがどう関わっているのか?
⑦生み出された涅槃とは何か?
⑧この大地というのはどこのことなのか?
ここにジャイールが詠った二小節が加わったことによって、さらに疑問は増えることになる。
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【ジャイールが加えた歌詞】
一なる女神は、次なる世界で運命を共にする者たちと再び出逢う。
やがて、一が全に、全が一になったとき、第三の道が拓かれよう。
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⑨運命を共にする者たちとは誰か?
⑩第三の道とは何か?
数十年もの間仏典に触れてきたシャルマさんでさえも、答えられない問いだ。
恐らく、歌詞を紡いだヴィクラム本人しか分からないことだろう。
逆に言えば、ヴィクラム本人さえ見つけられれば、解決するとも言える。
だからこそ、最も深刻な問題は、たぶんこの3つだ。
⑪ヴィクラムはまだ生きているのか?
⑫生きていたとして、見つけられるのか?
⑬見つけられたとして、彼は、わたし達の助けになってくれるのか?
――一体、なぜこんなことになっているんだろう。
わたしは、混乱する頭で、あらためて振り返る。
もともと、今回のインドの旅は、ヴィクラムに会って、わたし自身の脳波操作の力を高める目的だったはずだ。
けれど、もはや事態は、そうした個人的な話を大きく超え始めている。
まるで、自分が、巨大な暗雲の中に飛び込む、一羽の鳥になった気がしてきた。
「そろそろ、バスの時間だわ」
ターニャの声に、わたしははっと我に返る。
お礼を言って、席を立とうとしたわたしに、シャルマさんが真剣な声で言う。
「ヴィクラムは、類まれな才能と、狂気にも似た信念を持った人物です。その世界に入り込むと、戻れなくなる可能性がある――だからこそ、私自身は、彼から距離を置いていました。でも、今となれば、それは、逃げただけだったように思えてなりません」
彼のその顔には、悔恨とも取れる表情が浮かんでいる。
「仏教には、”中道”という思想があります。王子として生まれたゴータマ・シッダールタが、贅を尽くした”快楽の道”と、修行者としての”苦行の道”の両極を体験した――。だからこそ、”第三の道”を見いだせたのかもしれません
――”第三の道”。
ジャイールの詩の最後に歌われていた言葉だ。
「あなたはきっと、世界の両極に触れてなお、あなた自身の道を見つけ出せる――。そう信じています」
そういって、彼はわたしのために手を合わせてくれた。
その姿は、過去への追悼にも、未来への期待の祈りにも見えた。