第131話: 新たなる輪廻の環
「彼の本名は、Vishnu Deshpande。本人は、身分を隠したいので、Vikramと呼んでほしいと言っていましたけどね」
シャルマさんの言葉を聞いて、わたしは、サラに尋ねる。
「”ヴィシュヌ”って、何かの神様の名前じゃなかったっけ?」
「うん。ヴィシュヌはヒンドゥー教の三大神の一人だよ。「神の保護者」として知られ、世界を守る役割を持つと言われているんだ。ただ、だからこそ、インドでは男性名としてよく使われている」
わたしは、軽いカルチャーショックを覚える。
日本だと、神様の名前を、個人名につけることは決して多くない。けれど、信仰が根付いた国にとってはそれが普通のことなんだろう。
「ファミリーネームの、” Deshpande”はどう?やっぱりありふれた名前なの?」
わたしの問いに、サラが答える。
「ビシュヌほどではないけど、インド最大の州の一つ、マハラシュトラ州では割と一般的な苗字だよ。もともと、ヒンドゥー教の司祭階層に多いらしい」
「じゃ、やっぱり名前で素性を検索するのは難しい?」
わたしが落胆気味に訊ねる。
「いや、本名を入力できたおかげで、色々面白いことが判明したよ」
どうやらサラは既に検索をかけてくれていたらしい。
「彼は、1990年代から2010年代までの間に、脳医学と、量子力学分野において大きな功績を残している。医者としても有名で、神懸かり的な脳外科手術を何度も成功させてきたらしい。まさに、ヴィシュヌの名にふさわしい活躍だよ」
「え? そんなにすごい人なんだ」
それであれば大学教授も推薦状を書いてくれるだろう。
「けれど、ちょうど50歳になった2014年を機に、ニュースはぱったりと途切れている。それ以降は、消息不明扱いになっているらしい」
――50歳といえば、医者や研究者としてはまだまだ現役のはずだ。
「2014年に、全てを捨てて、ブッダガヤに来ていたということですよね……。その理由について聞かれてませんか?」
そう、シャルマさんに訊ねる。
「この地には、過去を捨てた方もよくいらっしゃるので、訊ねてはいません。ただ、それなら、あの尋常ならざる才気も頷けます。なんせ、1年間ほどで、このブッダガヤにある経典を、ほぼ全て読み尽くしてしまったのですから」
「え!? そんなこと可能なんですか?」
「普通の人にはまず無理しょう。ただ、ヴィクラムは、もともとの才能に加え、”鬼気迫る”という表現がぴったりくるような、何か切迫した雰囲気がありました」
そう言いながら、シャルマさんは再びスープを口に含む。
「ただ、このブッダガヤでも、彼の存在を知っているのはごく僅かです。荷物起きになっていた、奥の部屋に寝泊まりし、髪も髭も切らず、寝食を忘れて、ひたすら経典に向き合っていましたから」
「全然、外に出なかったんですか?」
「ええ、『日の光に弱い』と言っていましたから。ただ、それでも半年が経ち、2015年を迎えるころには、ときどきは、夜には外出していたようです」
――恐らく、ヴィクラムがジャイールと出会ったのはその頃だろう。
恐らくブッダガヤの外に出て、瞑想をしたり、歌を詠っているいるうちに、辺りに評判が広まったのだろう。Youtubeの生放送に撮られてしまったのも、たまたま日光のない夜に、瞑想をしていたときのことだったに違いない。
「シャルマさんは、ヴィクラムさんの歌声を聞いたことがあるんですか?」
「はい、時々、奥の部屋で口ずさんでいましたら。美しい旋律ではありましたが、何よりも、興味深かったのは、その歌詞でした」
――歌詞?
「輪廻についての歌詞です。仏教における輪廻であれば、さほど珍しくないのですが……その歌詞は全く違っていました」
「え……そもそも仏教以外にも、輪廻の思想があるんですか?」
「ええ、ヒンドゥー教やジャイナ教、シク教にも輪廻思想はあります。ただ、ヴィクラムのそれは、そのどれとも違いました」
「彼は、未来を予言していたのです。やがて訪れる末法の世と、その後に始まる、”新たなる輪廻の環”について」