第129話:かつて天竺と呼ばれた場所
わたしとターニャは、二日目、三日目と、足を棒にしてブッダガヤ中を回った。それだけでなく、ブッダが、断食の修行をしたという前正覚山という山にまで足を運んだけど、ヴィクラムの情報は一切得られなかった。
それもそのはずだ。お祈りをしている仏僧らしき人に話しかけてみると、他の仏教国であるタイや、スリランカ、カンボジア、ラオスから、果ては中国、日本まで、外国人だらけだったからだ。
サラが言うには、ブッダガヤ本来の人口は10万人に満たないのに対し、海外から年間100万人もの人が訪れるらしい。これでは、現地の人を見つけることの方が難しい。
「三蔵法師が目指した天竺というのは、ブッダガヤだからね。外国の人が多いのも当然だよ」
「えっ、そうなの?」
幼いころワクワクしながら読んだ『西遊記』のゴールに、大人になった自分自身が立っているなんて、なんだか不思議な気がする。
「もちろん、孫悟空や沙悟浄、猪八戒なんかのキャラはフィクションだけど、三蔵法師は実在している。16年の旅を経て、この地に至り、多くの経典を唐に持ち帰ったと言われているんだ」
けれど、それほどまでに海外で普及した仏教が、発祥の地であるインドでは、人口の1%にも満たない少数宗教となっている。
これもまた、歴史の綾というものなのだろう。
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2029年12月17日
――やばい。
ブッダガヤに滞在して、約1週間が経過したころ、さすがにわたしは焦り始めていた。
全く成果がないのに、宿代と食事代で、お金は毎日減っていく。
状況を察したターニャが切り出した。
「修道院長の助けを借りましょう」
わたしは頷いた。
確かに、同じ宗教団体を運営する者同士、横のつながりもあるかもしれない。
結局また人の力を借りてしまうことに、そこはかとない罪悪感を覚えたけど、この際、ヴィクラムを見つけるという、目的を優先すべきだろう。
わたしは、修道院長からもらった電話番号にかけると、7コール目に電話に出たのは、男性だった。
慌ててターニャに電話を替わってもらい、用件を伝えてもらう。
どうやら、「マザーは今は留守なので、折り返し電話をくれる」らしい。
もちろん、わたしも、ただ闇雲にヒアリングを続けていたわけではない。
同時に、サラに”ヴィクラム”と言う名前から、彼に関する情報を探し続けてもらっていた。
けれど、結局、絞り切ることはできなかった。
「せめて、ファミリーネームも分かれば、何とかなるかもしれないんだけど……」
と、サラは言う。
……というのも、この”ヴィクラム”という名前は、名前はインドには数百万人はいる、極めて一般的な名前らしい。
なんせ、『ヴィクラム』というインド映画もあるくらいなのだ。膨大な無関係の情報に呑まれ、サラでさえ、必要な情報を発見できなかった。
「そもそも、本名かどうかも分かりませんしね」
ターニャが言うには、インドには、カースト制などの身分を隠すために偽名を使うケースも少なくないらしい。
――あ、そうだ。
わたしはふと思いつく。
ジャイールが送ってくれた、あの赤い瞳の写真を使って、個人情報を検索できないだろうか。
もともとの生放送はとうに消されてしまっていたけど、ヴィクラムさんから見せてもらった写真は転送してもらっていた。
サラに確認すると、申し訳なさそうに断られる。
「ごめんね。プライバシー保護の観点から、画像情報から個人情報割り出すことは、ルールで禁止されているんだ」
以前、カイが愚痴っていた”AI規制ルール”が、インドにも適用されているということかもしれない。
そんなこんなで数時間が経過したころ…。
修道院長から折り返しの電話があった。
”死を待つ人々の家”に戻った彼女は、すぐにここ、ブッダガヤの大菩提寺の上層部に掛け合ってくれたらしい。
「知り合いの住職が言うには、ヴィクラムに心当たりのいる住職が見つかったらしいわ。せっかくだから、明日、二人を、お昼ご飯にご招待してくれるとのことよ」
「あ、有難うございます!」
マザーはおおらかに笑う。
「ああ、何かあったら連絡してって言っただろう」
――もっと早く頼っておけばよかったんじゃ……。
そんな後悔の念が湧いたけど、今さら仕方ない。
「あ、そうだ……」とマザーが続ける。
「彼らの食事は、1日1食だけらしいから、時間には遅れないようにね」
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2029年12月18日
「写真の男性が、16年前に訪れられた時のことは、よく覚えています」
豆が浮かんだスープを口にしながら、いかにも人が良さそうな50歳くらいの剃髪の僧は、懐かしむように言った。
「ほ、本当ですか!」
わたしは興奮のあまり、カレーが喉に詰まって思わずせき込む。
彼とわたしたちの目の前には、インド式の”精進料理”とでも呼ぶべきメニューが並んでいる。
白米を中心に、ダールと呼ばれる豆を煮込んだスープや、サブジと呼ばれる野菜をいためたカレー、そしてインド式の漬物が本日のメニューだった。
そのスパイスたっぷりの料理が運ばれてきたとき、わたしは単純にもこう思った。
――あ、本場インドの精進料理は、やっぱりカレーなんだ。
仏教もそうだけど、精進料理自体も、6世紀の日本伝来後、かなり現地化されているんだろう。まあ、そもそもカレー自体が、スープのようなインドカレーと、とろりとした日本カレーとで大きく違うんだけど。
わたしは、お水を一口飲むと、再び口を開く。
「ヴィクラムさんのことを、詳しく教えてもらえますか? わたしたちがいくら調べても、見つからなかったので」
――ああ、と思い出したようにシャルマさんは言う。
「ヴィクラムというのは、偽名ですから」