第127話:悟りの地
2029年12月10日 インド・ブッダガヤ
わたしとターニャを乗せたバスは、予定通り、明け方にはブッダガヤに到着した。
――もしかして、甘く見すぎていたのかもしれない。
仏教徒の聖地、ブッダガヤの象徴ともいえる、マハーボディー寺の前に立って、わたしは焦りを覚え始めた。
ブッダガヤ自体は人口も少なく、のどかな村といった様相だ。
だから、しらみつぶしに訊いて回れば、ヴィクラムの手がかりが見つかるに違いないと思っていた。
だが、12月はどうやら巡礼のシーズンらしい。
まだ朝も早いのに、すでにオレンジ色の僧衣をまとった世界中の仏教徒たちが、そこかしこに集まっている。これでは、誰が地元民なのかさえ分からない。
「大丈夫かな……」
心配そうなわたしを見て、ターニャが明るく言う。
「ヴィクラムさんは、”赤い瞳と白い肌”という目立つ特徴があるんですね?15年前のこととはいえ、まだ覚えている人もいるかもしれません。とりあえず、宿に荷物を置いてから、聞いて回りましょう」
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午後になってもわたしたちは、大菩提寺を中心に、なるべく年配の僧を中心にヴィクラムについて訊ねてみたけど、一向に成果は上がらなかった。
「詩人」「聖者のような出で立ち」であれば、それこそ無数に心当たりはあったらしい。
けど、「赤い瞳と白い肌」となると、誰も首をかしげていまう。
確かに、毎日、世界中の様々な風貌の巡礼者が訪れるこの地において、15年も昔に現れた放浪の詩人のことなど覚えている人などいないかもしれない。
「少し休憩しましょうか?」
ターニャが気を使ってくれる。
わたしは、仏塔のすぐそばの、まるで屋根のように枝を広げている巨大な菩提樹を見上げた。
根元の英語の説明書きには、こう書かれている。
「紀元前623年、シッダールタという王子が、この菩提樹の下で悟りを開いた」
サラが付け加えてくれる。
「まあ、当時の菩提樹は燃えてしまって、ここに植えられているのは、その末裔の樹らしいけどね」
今でこそこうして賑わっているけれど、約2500年前はこの場所も、今とは全く違う様相をしていたに違いない。
「でも、シッダールタって、よく出家を決意しましたよね。王様の息子なら、何不自由ない暮らしができそうなのに……」
ターニャが訊ねる。その言葉には、少しだけ棘がある気がする。
――たしか、そんな話が手塚治虫の『ブッダ』で描かれていた気がする。
サラに確認すると、
「ああ、『四門出遊』ってやつだね」
と答えてくれる。
「シッダールタが、東の門で”老人”を、南門では”病人”を、西門では”死人”を目にし、最後に北門から出ようとすると修行者を目にしたんだ。それで、自らも出家を決意したという逸話だよ」
それを聞いたターニャが言う。
「つまり、他の三つに比べて、一番マシな選択肢である出家を、致し方なく選んだ……ってことですよね?」
「ま、まあそうも言えるかもね……」
率直な物言いにわたしは苦笑する。
「だから、わたし思うんです。リンさんは、世界の未来に対して、ちょっと責任を感じすぎなんだって……。だって、あのブッダでさえ、仕方なく出家を選んだんですから」
――ああ、そういうことか。
ようやく合点が言った。
彼女は、わたしを慰めようとしてくれているんだ。
バスの中でももうなされていたら、きっと心配をかけていたに違いない。
わたしはターニャにお礼を言うと、彼女は笑顔を返してくれる。
大菩提樹の葉と葉の間から、木漏れ日が降り注ぐ。
もしかしたら、”世界を救う”という願いは、”こうした笑顔を一つでも多く守りたい”と思うことなのかもしれない。