第126話:輪廻の車輪
死を待つ人々の家で、わたしたちと修道院長は、長い間話をした。
マザーテレサとの出会いから、彼女と共に過ごした日々など、まるでオアシスの湧き水のように、話題は尽きなかった。
気が付くと、来たときから1時間以上が経過していた。
「いけない、そろそろ出発しなきゃ」
慌てて、ターニャが言う。
最後に、マザーは小さな紙切れを手渡してくれた。
「わたし達のネットワークは、ブッダガヤにもあるわ。もし、助けが必要なときは、この電話番号にかけなさい」
電話番号の書かれた紙きれをパスポートに挟むと、わたしはそれをポシェットにしまい込む。
お礼を言って、「死を待つ人々の家」を出たころには、街は夕暮れどきを迎えていた。
コルカタを貫く、フーグリー川に沈む夕日は、何かを暗示しているように見えた。
あの場所にいた、人生の夕暮れを迎えた人々の顔を思い浮かべる。
わたしが人生の最後を迎えるとき、一体、どんな表情をしているのだろか?
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事前にターニャが手配してくれていたおかげで、ブッダガヤ行きの最終バスは、思いのほか快適だった。夜の9時に出発し、朝6時前には現地に到着するそのバスは、一人1000ルピーで、冷房も完備されている。宿代も浮くことを考えれば、かなり節約できる。
――空港からもバスを使えば、ぼったくられることも無かったのに……。
ただ、よくよく考えれば、あの運転手がここに連れてこなければ、ターニャと出会うこともなかったのだ。
人生、何が幸運に、そして何が不幸に転じるかは分からない――。
つくづくそいう思う。
やがてバスの電気が消され、隣でターニャが静かな寝息をたて始める。
けれどわたしは眠りにつけなかった。
昨晩、飛行機の中で寝過ごしたせいだろうか。あるいは、死を待つ人々のあの表情が、脳裏から離れないせいだろうか。
わたしは、ヴィクラムの言葉を反芻する。
『30年後、新たなる輪廻の環が回り始まる』
これは一体何を意味しているのだろう。
わたしは、文章モードのサラに、そもそも「輪廻って何?」と聞いてみる。
「生物の魂や意識が現在の人生を終えた後、別の存在として再び生を受ける――。一般的には、それが輪廻と呼ばれている」
「じゃ、ヴィクラムの言う、『新たな輪廻の環』っていうのは?30年後に、一体、何が起こるの?」
サラは、しばらく間沈黙を続ける。瞬時にネットの大海を泳いで、何かしらの答えを見つけてくるサラにしては珍しい。
結局サラは降参した。
「ごめん、分からないや。2015年にジャイールがヴィクラムに会ったなら、当然、その30年後は2045年なんだろうけど……。いくら探しても、『新たな輪廻の環』と関連する、信頼のおける記述は見当たらない」
そもそも『新たな輪廻』という以上、『古い輪廻』というものも存在するはずだ。それさえ何なのかが分からない現状では、言葉の意味を理解しようがない。
ジャイールも、それについては聞き出せていないという。
やはり、ヴィクラムさんを探し出して、その真意を問うしかないのだろう。
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その夜。
夢の中に現れたのは、巨大な車輪だった。
わたしという存在がその内部に組み込まれ、恐ろしい速度で回転していく。
どうにか振りほどかれまいと、必死で車輪の軸にしがみつく。
だが、その回転のあまりの速さに抗えず、わたしの手は振りほどかれ、彼方へと飛ばされていく。
宙に浮いたわたしの身体は、やがて地球の重力に引き戻され、加速度的に地面が迫ってくる。
死を覚悟したわたしの頭蓋に触れたのは、しかし、波立つ不思議な色をした海だった。
とぷん、という音を立て、わたしの身体はそのその海へ吸い込まれていく。
眼、鼻、口、耳、そして皮膚。
あらゆる器官から、その液体が、沈みゆくわたしの身体に浸透していく。
意識が次第に遠のいていく。
そして、無。
どこかから、わたしを呼ぶ声がする。
わたしは、自分の肉体を感知する。
重い瞼を開けようとする。
そこに見えたのは……。
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「リンさん、リンさん!」
わたしに覆いかぶさるように、ターニャが心配そうにわたしの顔を覗き込んでいる。
「あ……。タ、ターニャ?」
わたしはようやく、現実と夢の区別がついてきた。
ターニャがほとんど涙目になりながら言う。
「すごくうなされていたから、私、心配で……」
「大丈夫だよ、心配しないで」
わたしはターニャの手を握る。
温かい彼女の手が、わたしを現実の世界に引き戻してくれる気がした。