第123話:ナマステ
タゴールの『Go Alone』を歌い終えたターニャは、「ナマステ」といって、合唱に付き合ってくれた周りのみんなに礼を言った。
わたしは手が痛くなるほど拍手する。
それが呼び水となり、通行人たちも拍手をしはじめ、やがてそれは喝采へと変わった。
――何だか、インド、好きになれそうかも……。
漠然とだけど、わたしは初めてそう思えた。
なんせ、スタートが最悪だった。
空港に到着したてで運転手たちに取り囲まれ、更に料金をぼったくられ、挙句の果てに見知らぬ街に置き去りにされたのだ。
でもターニャのお陰で、そんな印象は一変した。
いきなり歌い出したターニャを、変な目でみるどころか、全員が大合唱で加わる――。こんなことは、日本ではまず起こらない。
わたしの席の前に座ったターニャに声をかける。
「歌、感動した。まるで歌手みたいだったよ」
「ありがとう」
そう言うと、ターニャは照れたように下を向く。
ただ一瞬、その表情が翳ったように見えた。
「どうしたの?」と聞くと、
「ううん、何でもないわ」とターニャは首を振る。
わたしは気を取り直して質問する。
「ターニャ、今何歳なの?」
「17歳」
「高校三年生?」
「うん」
「じゃ、次は大学受験だね」
そう聞くと彼女は再び俯いてしまう。
気になってわたしは、改めてその訳を聞く。
彼女は、消え入るような声で答えた。
「うちにお金がないから、大学には通えないの」
わたしは、無神経な自分をひっぱたきたくなった。
インドに来る前に、堀田さんから教えてもらっていたはずだった。インドの平均年間所得は約2000米ドルで、3人に1人も大学に通えていないことを。
にもかかわらず、こんな質問で、目の前の純粋な女の子を困らせてしまうなんて、鈍いにもほどがある。
そんな自責の念がわたしの表情に出てしまったのだろう。
慌てて、ターニャはぶんぶんと手を振る。
「気にしないで。今は冬休みだし、アルバイトしてお金を溜めて、いつか絶対大学で声楽を学ぶんだから」そういって健気に笑う。
わたしはふと気になって訊ねる。
「大学の学費っていくらくらいなの?」
「500米ドルくらい」
日本円で8万円ぐらいなので、日本の大学の学費よりも遥かに安い。それでも年間所得の四分の一ともなると、特に屋台などの商売だと、捻出は難しいのだろう。
わたしは、意を決して訊ねてみる。
「ターニャさえよければなんだけど、冬休み、バイトしてみない?」
「え、バイトって、何の?」
きょとんとするターニャにわたしは言う。
「ブッダガヤでヴィクラムを探すのを、一緒に手伝ってほしいの。アルバイトの謝礼は、500ドルで」
ターニャは、信じられないとでもいうかのように、思わず口を口を抑えた。
「でも何で? 私たち、会ったばかりなのに」
「ターニャと一緒なら、きっとうまくいくって、わたしの直観が告げているの」
わたしは言い切った。
――正直、自分の直感にそこまで自信があるわけじゃない。
でも、裏切られるのを恐れて誰一人信られないよりも、時に裏切られても人を信じる方が100倍ましだ。
ターニャが何度もお礼を言いながら、わたしの手を強く握る。
そして、おかみさんに告げに行く。
おかみさんもはじめはビックリして色々質問してきたけど、やがて、わたしの本気度が伝わったようだった。
彼女は胸の前で十字を切り、天に祈りを捧げた。
――あれ?
それはどう見ても、ヒンドゥー教の所作には見えなかった。
むしろ、ハリウッド映画なんかでよく見る、キリスト教の信者が行っている祈りのようだ。
そんなわたしの疑問を感じとったのか、ターニャは言う。
「わたしとお母さんは、キリスト教徒なの。マザーテレサがお建てになった”死を待つ人々の家”で、長年ボランティアをしているのよ」