第119話:地獄の門
「ヴィクラムとの出会いが、私の人生を根本的に変えてしまった」
そう言ったジャイールの目には、興奮とも、後悔とも取れる複雑な感情が浮かんでいた。
「そもそも、ヴィクラムとはどうやって出会ったんですか?放浪の歌い手なら、そう簡単に見つからないんじゃ……」
「ああ、3週間ほど、現地で聞き取りをしても、一切手がかりはなかった。なんせ、少し歌を齧っただけの、偽物の歌い手なんざ山ほどいたからな」
「ほとんど諦めかけていたんだが、ヴェーサクの日に、全く予期せぬ形で出会いが訪れた」
「”ヴェーサク”って?」
堀田さんが横で解説してくれる。
「ブッダの誕生や入滅を祝う日のことだ。毎年4月から5月にかけて、インドの各地で祝われるんだが、特に、ブッダが悟りを開いた言われるブッダガヤでは、世界中から仏教徒が集まり、特に盛大に祝われるんだ」
――それは何となく分かる。
彼らにとっては、まさに”聖地巡礼”なのだろう。
ジャイールは言う。
「それは、あるyoutubeの生放送がきっかけだった」
――ん? なんか急に現代的な展開になってきた。
「それは、2015年、4月4日のブッダ誕生記念日に、ブッダガヤで撮られた生放送だった。確か、外国のインフルエンサーとやらが、番組のネタとして、現地の”いかにも聖人っぽい人”にインタビューするという企画のようだった」
――日本で言えば、突撃系のユーチューバーみたいなものだろうか。無理やり取材して、相手が怒るところまでをコンテンツとするタイプのやつだ。
「実際、その動画自体はひどいもんだった。夜更けに、相手が静かに瞑想やお祈りをしているのに、無理やり突撃してインタビューするんだからな。だだ内容自体は興味深かったら見続けていたんだが、その生放送の最後に、妙に気になる男が登場したんだ」
「気になるって、どんな?」
「男は、インタビューアーがどんな質問をしようとも、ずっと瞑想したまま反応しなかった。まるで座禅のままで眠っていたようにな。だが、インタビュワーが最後に、”ある質問”をしたとき、突如、彼は目を見開いた」
「それって、どういう質問だったのですか?」
「『末法の世は、いつ訪れると思いますか?』という問いだ」
「末法の世って?」
わたしの初歩的な問いに、今度はサラが解説してくれる。
「仏教が教えが衰退し、世界が乱れる時代のことだよ」
「それで、ヴィクラムは何て答えたんですか……?」
「ただ一言だけだ。『15年後、末法の世が始まる。更なる15年の後、新たなる輪廻の環が動きだすだろう』と」
――輪廻の環?
聞き慣れないその言葉に、わたしの混乱は深まる。
堀田さんに尋ねても、彼にも理解できないという。
ジャイールにも訊いたけど、仏教徒じゃない彼にとって、答えの内容自体には関心がないようだった。
「ただ、その言葉の響きで、私には分かったんだ。この男こそが、私が探し求めていた歌声の持ち主だと」
――そんなたった一言で……。
卓越した文章家が、始めの一小節を読むだけで、小説の良し悪しが分かるのと同じようなものだろうか。
ジャイールは、スマホの中の一枚の画像を見せてくれた。
長らく整えていないであろう、伸きった髪と髭。
ただ、真っ白な髪と髭は、たしかに聖者然とした出で立ちだ。
けれど、わたしの目を引いたのはそこではなかった。
彼の瞳は、まるで火のように紅くに輝いていた。まるで、かつて映像で見た、深淵で燃え続ける”地獄の門”の炎のように。