第118話:放浪の詩人
2029年12月2日 サウジアラビア・リヤド
神聖な集団剣舞の舞台に、二人ものテロリストが紛れ込んでいたのは、現地の政府当局者に少なからず衝撃を与えたようだった。あの二人が、事故に遭った団員の代わりとして入ってきた以上、その事故そのものが仕組まれたものである可能性が高くなった。
目的はまだ判明していないけど、王族狙いの可能性もあったことから、取り締まりは微に入り細に入り行われた。
いち早く襲撃に気づいた、梨沙さんとわたしにも疑いの目が向けられかけたけど、ファリード王子とアディーラさんが断固として守ってくれたため、早々に無罪放免となった。
「……っていうか、私達を取調べた担当官は、『テロを防いだ恩人に何たる態度か』って後で問題になって、即刻左遷されたらしいぜ。ざまあだな」
梨沙さんが愉快そうに笑う。
「たしかに威圧的でしたけど……。相手も仕事なんで、ちょっとかわいそうな気も……」
「ああいう予見を持って決めつけてくる輩には、きちんと自分の意見を主張しないと、付け込まれるんだよ。ましてや、この後インドに独りでいくんだろ?油断してると、あっという間に金を巻き上げられるぜ」
――そう。わたしは、あの後、ジャイールが今の力を身に着けたという場所、インドのブッダガヤへの単独行をみんなに伝えていた。
わたしは、独りでは外国にも行ったことさえない二十歳の小娘だし、ましてやあんなテロに遭った後だ。当然、知り合いはみんな反対した。
休学していることもあって、大学のクラスメートからは、「そんな自分探しの旅に出るくらいなら、話を聞くよ」とやたらと心配された。
そんな中で、わたしのお目付け役のはずの梨沙さんは、あっさりと賛成してくれた。
「ま、わたしも学生時代のバックパッカー経験が、今の背骨になってるかならな。風間さんにはわたしから上手い事言っておくよ」
口元に笑みは浮かべつつも、その目は真剣だった。
「早いこと、自分とやらを探しとけよ。世界がそれどころではなくなる前に」
星は、最後の最後まで同行を申し出てくれたけど、結局わたしの方から断った。
本当は心底嬉しかったし、そこはかとなく、よこしまな考えが浮かばなかったわけでもない。
けれど、そもそもこれは、星やカイたちと”並んで走る”ための旅路なのだ。
同年齢にもかかわらず、人類存亡の危機に敢然と立ち向かっている二人に対して、今までのわたしは、ただその後ろをちょこんと付きいてきているのに過ぎなかった。
――彼らと一緒に戦うための武器を手に入れる。
そのためにも、わたし独りでやり切らなければならない。
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2029年12月7日 サウジアラビア・リヤド
リヤド最後の晩に、ジャイールから、小型の携帯レコーダーを手渡された。
「彼とブッダガヤで会ったのは、もう15年も前のことだ。今でも同じ場所にいるかは定かじゃない。ただ、もし、運よく会えたとしたら、このレコーダーの中身を聞かせるといい」
その態度からはあまり読み取れなかったけれど、彼は、彼なりに、テロリストから儀式を救ったわたしたちに感謝しているようだった。わたしがサウジアラビアに滞在していた7日間、多くの予定をキャンセルして、ほぼ毎日、剣術の修行につきあってくれたからだ。
その間、ジャイールとは、剣だけでなく、様々な話をした。
中でも刺激的だったのが、詩人として成功するために、若い頃に各国を回った話だ。
「中でも、タゴールには特別な憧れがあってね。15年前、彼の足跡に触れるべく、インドを旅したんだ」
――「タゴール」って?
サラにそっと訊ねる。
「タゴールは、インドのコルカタで生まれた、詩人であり、音楽家であり、哲学者でもあったんだ。1931年、欧州出身者以外で初めてノーベル文学賞を受賞した、インドの国歌の作詞者でもある偉人だよ」
へぇ……。1931年といえば、いまから99年も前だ。
「え、でも、そんな昔のことなら、タゴールさん本人はもう亡くなってるんですよね?」
「ああ、とっくにな。だが、彼の詩や歌は、いまなお、インド全土で歌い続けられている。その足取りを追うべく、列車でインド各地を旅をしている中、ちょうどブッダガヤ周辺で、不思議な男の噂を聞いたんだ」
――不思議な男?
「ああ。全く無名にもかかわらず、人の人生さえ変えてしまうほどの歌声を持つ、放浪の歌い手がいるという。名はヴィクラムといい、時折ブッダガヤに出没しては、謳い終わると姿を消してしまうらしい」
ジャイールは、目を細め、複雑な表情をした。
「そして、それは事実だった。ヴィクラムとの出会いが、私の人生を根本から変えてしまった」