第117話:砂漠の夜に散る
ジャイールのステージは盛大な拍手で迎えられた。
その期待をも上回る、圧巻の歌と演奏、そして迫力に満ちた壮麗な剣舞は、観客の脳と視線を捉えて離さない。
アラビア語が分かる観客はもちろん、そうではない私たちにとっても、壮大な叙事詩が心に染みわたっていくようだった。戦に向かう戦士たちの雄叫びが、荒涼とした大地を駆ける馬の足音が、わたしの脳裏に浮かんでは消えていく。
やがて最後の一音が、砂漠の夜空に放たれ、そのわずかな余韻も消えると、会場は万雷の拍手と歓声に包まれる。
ファリード王子が立ち上がり、ステージに上がる。
アラビア語のアナウンスが入る。
お付きの人がトロフィーのようなものを持っているのを見ると、なにかの表彰なのかもしれない。
その時だった。
星空を悠々と舞っていたはずのワミードが、アディーラさんの頭上まで下りてきて、”キャッ、キャッ!”と鋭く、甲高い鳴き声を上げた。
――今までおとなしく空を飛んでいたのに、一体、どうしたのだろうか。
アディーラさんが、小さく叫ぶ。
「来る!危険な何かが……」
――え!?
わたしと梨沙さんは、思わず、ステージの方に視線を戻す。
ファリード王子と、ジャミールが握手を交わし、無数のカメラのフラッシュが焚かれている。
今のところ、不穏な様子は見られない……ように見えた。
が、梨沙さんの反応は違った。
「後列の踊り手の左から二番目と、三番目! 奴らの剣だけ、本物だ」
フラッシュの反射で、わずかな違いを見抜いたのだろうか。
わたしは咄嗟にゾーンに入ろうとする。
そんなわたしよりも一瞬早く動き出した梨沙さんは、既にステージの上に向かって跳ねていた。
「こっちは任せろ!」
突然のステージへの闖入者に、一部の踊り手が止めようとする。
静止しようとする彼らの手を潜り抜け、梨沙さんはステージの左端に駆け寄る。
他の踊り手が呆気に取られて見ている中、真剣を持つ二人の男は、刀を構え、襲い掛かかろうとする。
左側の男の刺突が梨沙さんを襲う。
梨沙さんが一瞬早く身をかがめ、相手の懐に入り込むと、鳩尾に一撃を喰らわせる。
そのまま、男の右腕を掴み、背負い投げで頭から地面にたたきつける。
それを見た右側の男は、剣を構えながらも、一歩後退する。
何かを呟いたと思うと、不意に空を見上げた。
アディーラさんが叫ぶ。
「空に、鳥型ドローン二体!」
その声とほぼ同時に、二羽の小さな鳥の影が現れ、ほとんど自由落下の形でステージに向かって落ちてくる。 それを目にした梨沙さんが叫ぶ。
「自爆型アバターだ!リン、アディーラ、頼む!」
「リヤー!!」「ワミード!!」
わたしとアディーラさんが同時に鷹を飛ばす。
”ひゅん”と風切音を立て、リヤーが左の鳥型アバターを、ワミードが右の鳥を掴み取る。
「そのまま上空まで飛べ!」
梨沙さんが絶叫する。わたしは、脳波の限りを尽くして、空へとリヤーを舞い上がらせる。
――そして。
空中で、爆発音が聞こえた。
隣で、アディーラさんが崩れ落ちる。
わたしはぐっと耐え、再びステージ目を向ける。
梨沙さんに投げられた男は意識を失い、周りの踊り手たちに押さえつけられている。
だが、もう一人の男はいまだ捕らえられていない。
腕が立つこともあるが、何より爆発物を持っている恐れがあるため、護衛達もおいそれと近づくことができないようだ。
その時、ジャイールが男の前に立ちふさがった。
男が、切りかかろうと構えた刹那。
ジャイールが、男を見据え、言葉を発した。
「ارْكَعْ(跪け)」
その瞬間、男は魂を抜かれたかのように刀を落とし、そのままその場に跪いた。
周囲の人は何が起こったのか分からなかったようだけど、恐らくは強烈な脳波操作だ。
「神聖な舞台を血で汚すことは、断じて許さん」
そう言って、ジャイールはその長身を折り曲げ、右手を胸にあてて、王子に対して詫びた。
「お騒がせました」
王子は深くため息をつき、一旦気を落ち着かせようとする。
やがて、ステージの上から会場の様子を見渡した。
幸いなことに、死傷者は一人としていないようだった。
さすがに前列の客は騒ぎに感付いただろうけど、大半の客にとっては、一体何があったのかが分からないようだった。
むしろ、中列以降の客の中には、これも演出の一部と捉えていた客もいるようだ。
そもそも、アル・アラド自体が、戦の叙事詩なのだから。
わたしたちが空中で処理した爆弾については、花火か何かと勘違いした人さえいたみたいだった。
ファリード王子は、ステージの上から、泣き崩れているアディーラさんを見つめた。
何かを察したように、その瞳に哀しみの影を宿す。
一度深く息を吸い、ファリード王子は会場に向けって宣言する。
「本日の演目はここで終了とする。人知れず戦った勇者たちに、感謝の祈りを捧げたい」
係員に促され、観客が次々と会場を後にしていく。
拘束された二人は、手錠をかけられ、どこかに車で連行されていったようだ。
アディーラさんは、いまだ放心したかのようにへたり込んでいる。
彼女にとって、ワミードは親友のようなものだったから。
そんなアディーラさんに、ファリード王子が慰めるかのように声をかけている。
そんな中、わたしは、天を睨みながら祈りを捧げていた。
可能性は二分の一。いや、それよりももう少しだけ……。
――そして。
夜空に、”キィー、キィー”という声が響いた。
「ワミード……!?」
アディーラさんとファリード王子が、弾かれたように上空を見上げる。
満天の星空を背に、羽毛を散らしながら、ワミードが舞い降りてきた。
「どうして……」
アディーラさんの涙が、悲しみから喜びのそれへと変わる。
「爆発音が一つだったからです。梨沙さんが斃した方の男は気絶していたから、起爆装置を起動できなかったのでしょう。わたしが掴んだ方のアバターが爆発してくれるかは、正直賭けでしたけど……」
アディーラさんが、わたしのことを強くハグする。
「リンさん、ありがとう。あなたは、わたしの半身を救ってくれたわ」
”キィー”。
ワミードが再び砂漠の空に向かって、嘶いていた。