第116話:ファーストペンギン
ジャイールの楽団の人気は、想像以上のものだった。
最新の特設ステージに、ファリード王子をはじめとする様々な政府関係者や、国内外のVIPが最前列に並んでいる。
そんな錚々たるメンバーの中で、ファリード王子は、創さんを特別ゲストとして隣に座らせ、機嫌よさそうに語り合っている。その一行、ということで、わたしたちもおこぼれで最前列に陣取ることになった。
「サウジアラビアに、世界最大の淡水化設備を建築することで、初期合意が取れたんだ。例の”フッ素ナノチューブ”を使った、超高速のね」
星が、紅海沿岸へのショートトリップの顛末を共有してくれる。
――なるほど。だからあんなにも上機嫌なのか……。
「もともと、サウジやUAEには世界最大規模の施設がありましたもんね」
堀田さんの言葉に、星が頷く。
「はい。ただ、今回の施設は、今までと規模が違います。それに、このタイミングでサウジが参画してくれたことの意義は大きいです。アフリカ諸国と違って自前で資金調達できる分、建築スピードが圧倒的ですから」
「ファーストペンギンになってくれる、ってことだな」
梨沙さんも同調する。
「……え、ペンギン!?」
この砂漠におよそ似つかわしくない動物の名前が、急に出てきた。
「ああ。初めに困難にチャレンジする人のことを、”ファーストペンギン”っていうんだ。極寒の海に、初めに誰かが飛び込むことで、連鎖的に他の人たちも挑戦するってことの例えさ」
梨沙さんの言葉に、堀田さんが激しく同意する。
「こうした画期的なプロジェクトは、総論でみんなが賛成しても、各論になると、反対が出がちなんだ。初めてのものにはトラブルがつきものだし、誰も責任を負いたくないからね。僕も、アフリカの人道支援で、何度もそう言った経験をしたよ。だから、サウジの申し出は本当に有難い」
そういって、憧憬の眼差しで、ファリード王子と創さんを見つめる。
アフリカでの一件と、今回の旅を通して、創さんはすっかり彼にとっての憧れの人になったらしい。
そんな堀田さんも、世間から見れば、エリートそのものに映るんだろう。実際、医学部を卒業し、医師免許を持ち、今は大使館勤務をしていると聞けば、半年前の私だったら、きっとそういうイメージしか持てなかったはずだ。
でも、実際は、20代前半から戦火や噴煙にまみれ、無力感に苛まれながら医療現場に立っていたという経験があり、今があるのだ。
――それに。
わたしは隣の星に視線を移す。
年上の堀田さんはまだしも、星なんて完全に同い年だ。
片や世界的な教授の右腕として世界を飛び回っている幼馴染と、そんな彼に連れられて、初めて2年前に海外にいっただけのわたし。
もちろん、星はそんなことなんて気にも留めていないだろう。
博愛主義の彼にとっては、わたしは、等しく助けるべき相手の一人だから。
十年前に一度振られたとはいえ、その後、いくら時間が経っても告白に踏み切れない理由は、きっとそこにある。
わたしは、”助けられたい”んじゃないくて、”隣で一緒に走りたい”んだ。
遠くで歓声が聞こえた。
気が付くと、周りの人が拍手し始めている。
どうやらジャイール率いる楽団が、到着したようだ。
50人の楽団を率いる彼は、ステージの前でその足を止めると、ファリード王子とそのゲストの方に一礼する。
一瞬、わたしとも目が合った気がする。
不意に、昨晩のジャイールの言葉を思い起こす。
『本当に手に入れたい力が何で、そのため何を対価として払わなければいけないのかを』
――正直、この言葉の正確な意味は分からない。
ただ、一つ確かなのは、何かを得るためには、何かしらの対価が必要だということだ。
わたしは心に決めた。
この旅が終わったら、独りでインドに行こう。
みんなと並び、走り続けるために。