第114話:巣立ち
「雛鳥がようやく巣立ったたようだな」
首筋に刀を突きたてながらも、ジャイールは笑みを浮かべている。
ジャイールが両の手で握っていた二本の刀を手放す。
”がらんっ!”という音を響かせ、湾曲刀が地面に落ちる。
――ようやく、勝てた。
ほっとして、肩の力を抜いた瞬間。
今までわたしを満たしていた波動らしきものが、急に ”すとん” と抜け落ちる感覚がした。
――え、今のなに?
そう思う間もなく、ジャイールの肩に乗っていた鷹型アバターが、わたしの意思に反して飛び立った。
リヤーの羽がわたしの視界を覆うや否や、彼が持つその刀は、今度はわたしの首筋に突き付けられていた。
「だが、やはりまだ甘い」
そう言って、ジャイールの視線が鋭くなった。
「危機を感じて増幅された脳波は、気を緩めれば弱まっていく。”脳波が強い”相手がその瞬間を狙えば、容易に乗っ取れる」
たぶん、それだけじゃない。
そもそも、わたしの脳波はジャイールが歌で増幅していたと言っていた。
おそらく何らかの方法で、ジャイールがその増幅を解いたのだろう。
だから、脳波の総量で押し負けたのだ。
――悔しい。
見えたと思ったオアシスが、実は砂漠の蜃気楼で、たどり着いたら一気に霧散したような気分だった。
何より、このままでは、最後の寿命も燃やしてまでなお、わたしを導いてくれたおじいちゃんに申し訳が立たない。
わたしは、ジャイールに頭を下げて訊く。
「どうすれば、脳波を強くすることができますか?」
一挙手一投足が自信に満ちているジャイールにしては珍しく、逡巡する様子を見せる。けど、わたしの視線に促されるように、やがて片に何かを書き始めた。
「もし本気の覚悟があるなら、この場所を訪れるといい。もし彼が生きているのなら、何かの啓示を与えてくれるはずだ。もっとも、そうすることがそれが君にとって良いことなのかは分からないが……」
――もし生きているなら?
わたしは訝し気に、英語で書かれた住所を見る。
「え、ここって……」
その紙片に最後に書かれた文字は、リヤドでも、サウジアラビアでも、さらに言えば中東でさえもなかった。
XXXXXXXX, Bodh Gaya , Bihar, India
細かい地名までは分からなかったけど、最後の文字だけは読み取れる。
「その場所って、”India”なんですか?」
ジャイールは、遠い目をしながら呟いた。
「ああ。あの時、あの場所で彼と会ったことで、私はこっちの世界に足を踏み入れてしまった。君もよくよく考えるがいい。本当に手に入れたい力が何で、そのため何を対価として払わなければいけないのかを」
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2029年12月1日 サウジアラビア・マルハム
「鷹狩りの祭典は、リヤドから北に80kmほど走った、マルハムという町で行われるんです。砂漠に面した小さな町ですが、これから2週間はお祭りムードに包まれます」
車の中でアディーラさんが教えてくれる。
「え、2週間もやるんですか? 鷹狩りだけをずっと?」
「鷹狩りといっても、さまざまな分野に分かれるんです。飛行速度を争う”アル・メルワーレース”や、鷹の美しさを競う”マザイエン・コンテストに加えて、新進を育てるための”Falconer of the Future”といったプログラムなどもあるんですよ」
――教えてもらうまで全く知らなかったけど、一つの競技というよりは、運動会みたいなものなのかもしれない。
「国内外から数多くのVIPも招待されています。中でも、本日夜の、ジャイールの楽団による”集団剣舞”は、そのメインイベントの一つです。彼の名声は、中東全土に響き渡っていますから」
たしかに、あれほどの歌なら、それを聞く為だけに足を運ぶ人さえいるかもしれない。
「会場には、鷹狩りの歴史を伝えるパビリオンや、実際の鷹と触れ合えるコーナーもあります。そこで、”本物の鷹の動き”を学ぶことで、きっと”鷹型アバター”の動きも、より自然になるはずです」
そう、それこそがわたしの課題だった。
ジャイールとアディーラさんのおかげで、リヤーの操作速度は格段に上がっている。
けど、鷹と普段から接している彼らからすれば、『一目で見分けられるくらい不自然な動き』らしい。そうなると、本来の用途の、偵察や尾行に支障をきたすことになる。
わたしは、待機モードに入って目を細めているリヤーの羽毛を撫でる。
いまだにわたしには、この子が本物の鷹にしか見えない。
アディーラさんは言う。
「宝石鑑定と一緒です。模倣品と本物の違いを見極める目を養うには、多くの本物を見るしかありません」
脳と人工知能の関係性に似てるなと、ふと思う。
人工知能を理解するためには、まず人間の脳そのものについて、深く知る必要がある。
――ここに行けば、その秘密が分かるのだろうか。
わたしは、ポケットから、ジャイールにもらった紙片を取り出す。
受け取ったときは読み解けなかったけど、より重要な情報は”India”という文字の前にあった。
”XXXXXXXX, Bodh Gaya”, Bihar, India
ブッダが、悟りを開いたとされる場所だ。
手塚治虫先生の一ファンとして、ブッダが悟りを開くシーンのことは良く覚えている。
でも、そのブッダが入滅してから、2500年もの月日が流れている。
では、今は一体、そこに誰がいるというのだろう。
そんな想像に耽っているわたしに、梨沙さんが声をかけてくる。
「着いたみたいだぜ」
そういって、砂漠を貫くハイウェイの向こう側を指差す。
「な、なにあれ……」
わたしは思わず、二回も瞬きをする。
熱で揺らぐ陽炎の先には、全長数十メートルもの”鷹”の姿が浮かび上がって見えた。