第113話:マスマク要塞での戦い
マスマク要塞内部は、堅牢な門、四方を囲む塔、モスク、居住ユニットなどに分かれ、そこに、当時の武器や家具、そして攻城戦の様子の紹介パネルなどが展示されている。
「”マスマク”という言葉自体が、”堅牢・堅固”という意味なんです」
アディーラさんが解説する。
――『かつて、国王とその部下たちが行った要塞攻めを追体験していただきます』
アディーラさんのさっきの言葉を思い出す。
どう”追体験”するのかは分からないが、この強固な要に、闇夜に紛れて忍び込んで襲撃するなんて、想像するだけで緊張してくる。
「こちらが、”統治者の部屋”です」
アディールさんが、広い個室に案内してくれる。
「ここで、アブドゥルアジーズ国王が、敵の指揮官を斃したと言われています」
そう言うと、アディールさんが責任者らしき人に、アラビア語で声をかける。
すると、突然、部屋の全ての電気が落ちる。
暗闇の中で目を凝らすと、まるで千夜一夜物語に出てくるような仄かな光を放つランプが、一つ、また一つと灯っていく。
部屋全体に、ジャイールの詠唱が響き渡る。
「1902年の要塞攻めの際に詠われたという詩です」
アディーラさんが耳元で囁く。
歴史が興ったまさにその場所で、暗闇に揺れるランプの光を見つめながら、その時の詩を聴く。次第にわたしから、時間の感覚が削ぎ落されていく。
――まるで、わたし自身が当時の戦いに紛れ込んでしまったみたいだ。
アディーラさんが、そんなわたしの背後にそっと周り、左目にVRスカウターをつけてくれる。
そこに映った景色は、蒼天にみるみると上昇していく、鷹からの視点だった。
「……え? わたしまだ鷹型アバターを操作してないのに……」
「私の鷹がリヤーを掴んで、マスマク要塞の上空まで飛んでいるんです」
確かに見下ろせば、土色の四方を見張り塔に囲まれた要塞が、俯瞰で見える。
まるで、巨大な鷹に自分自身が掴まれて、空中まで引き上げられているような感覚だ。
「リヤーに脳波で繋げてください。今から、ワミードが前足を離します」
――え、今?
聞き返す間もなく、ワミードがその足を緩める。
リヤーが天空から地上に向けて、垂直に落下していく。
わたしは一瞬にして死の恐怖に囚われる。なんせ、視界は上空数百メートルにある。
「集中しろ! 脳波を送れ!!」
ジャイールが叫ぶ。
その声に押されるように、わたしは目を瞑りたくなる衝動に堪え、必死でリヤーへ脳波を送る。
リヤーが要塞の塔に激突しそうになる寸前――。
どうにかわたしの脳波が届いたらしく、リヤーは再び上空へと羽ばたいていく。
――良かった。
ほっと溜息をつき、何度か要塞の上空を旋回するうちに、わたしはあることに気づいた。
「あれ? 昨日より、速く飛べてる……」
操作も昨日よりも圧倒的にスムーズだ。
「人は生命の危機を覚えると、波動量が増加する。科学の言葉を借りれば、脳が活発に動くことで脳波量が増加するんだ」
ジャイールが言う。
「君と深山一心は、脳波の質は似ている。君の場合は、発する脳波量自体が圧倒的に足りていない。だから、”脳波を分ける”ことができないんだ」
――そうか。
今までわたしたちは、脳波を全てアバターに送り込むことで、どうにかアバターが動かせてきた。でも、自身の身体も動かすとなると、二体分の脳波量が必要になるということか。
「だが、今は違う。生命の危機を察した脳が、脳波量を増加させている上に、わたしの歌が脳波を増幅している。同時操作も可能だろう」
そう言ってジャイールは、二本の湾曲刀をわたしに手渡す。
ジャイール自身も、両の手に刀を握り、戦闘態勢に入る。
わたしがゾーンに入ったのとほぼ同時に、ジャイールの刀がわたしを襲う。
昨日より遥かに速い斬撃に、受けたわたしの刀が軋むのが分かる。
けれど、昨日ほどの焦りはなかった。
むしろ、ジャイールの剣戟を受ける自分自身を、斜め上から客観視している感覚だ。
ただ、客観視できるからこそ、このままでは勝てないということも分かっていた。
剣速は一夜にして上がるものではない。
夢華がそうしてきた通り、たゆまぬ研鑽の結果なのだ。
その時、一つの閃きが脳裏をよぎった。
――もしかして、これなら。
わたしは一旦、後ろに跳び、ジャイールの間合いから逃れる。
詰め寄ろうとするジャイール。
その左斜め上の空間に、わたしの左手の刀を放り上げる。
一瞬、ジャイールの視線がそちらに言った瞬間に、わたしは、渾身の右胴袈裟斬りを叩きこもうとする。
カミラとの闘いを経てわたしが習得した、全体重を乗せた武器破壊の一撃だ。
刃が薄い摸擬刀の一本くらいなら、叩き折ることも可能なはずだった。
「甘い」
ジャイールは、しかし冷静だった。
”ギンッ!”
自らの二刀を交差させてわたしの一撃を受けきると、そのまま巻き上げるようにわたしの刀を撥ね上げる。
ジャイールが勝利を確信したであろう瞬間。
彼の後ろの首筋に、刀が突きつけられていた。
脳波操作で要塞の中に忍び込ませていた鷹型アバターに、わたしが宙に投げた刀を掴ませ、そのまま彼の首筋に突きつけたのだ。
ジャイールが、にやりと笑う。
「雛鳥が、ようやく巣立てたようだな」