第112話:建国英雄譚
「今日は、ここで”要塞攻め”を行います」
ドアを開けながら、アディーラさんが笑顔で言う。
「よ、要塞攻め……ですか?」
まるで ”今日は、ここでピクニックをします” 的なノリで言われたわたしは、思わず聞き返す。
わたしは、目の前の土色の外壁の建造物を見上げる。
聳え立つ巨大な土色の外壁と、四隅の見張り塔。侵入者を一人たりとも許さないという意思を感じさせる、まさに要塞と呼ぶのにふさわしい堅固さだ。
「ここが、マスマク要塞です。当時、この地域を支配していたラシード一家の軍事基地として、1865年頃に建築されたんです」
――ラシード?
奇しくも今のエジプト大統領と同じ名前だけど、恐らくは別人だろう。
漢字名に慣れたわたし達にとって、外国名を覚えるのは結構難しい。
あたあも外国の翻訳小説を読むときのように、わたしはメモを取り始める。
―そういえば、前読んでたイギリスのミステリー小説は、登場人物が多すぎて、途中で名前がこんがらがってしまい、犯人捜しどころじゃなくなってたな……。
……そんなことを考えていると、背後からやたらといい声がした。
「ここが、建国の地だよ」
振り向くと、見覚えのある長身がわたしを見下ろしていた。
「え、ジャイールさん?」
目深に頭布を被っているが、その声とオーラは隠しようもない。
「ジャイールさんは、今日の訓練にも付き合ってくれるそうです」
アディーラさんが笑顔で言うと、不承不承という感じでジャイールが頷く。
――あんなに、面倒くさがっていたのに、どうして……。
「昨日、リヤドの日本大使館経由で、”トモエ・クジョウ”とかいう女性から連絡があったんだよ。もし、『深山リンの修行にもう少しだけ付き合ってくださったら、未公開の深山一心の脳波データを提供する』ってね」
――さ、さすが十萌さん。
おそらく、わたしの話を聞いてすぐに日本大使館に連絡をし、ジャイールにコンタクトを取ってくれたのだろう。30時間寝ていなかったのに、相変わらず恐ろしい仕事の速さだ。
「でも、何でこの場所なんですか? てっきり、また砂漠で練習するのかと……」
アディーラさんが答える。
「何の障害物もない砂漠よりも、入り組んだ要塞の方が、”鷹の視点”がより意味を持つからです」
たしかに砂漠の場合、正面から敵をみれば事足りてしまう。一方で、壁が多い要塞内であれば、上空からの視点を持つことが大きな意味を持つ。
「私の詩の詠唱効果が、最も高まる場所でもある」
「詠唱効果?」
「そう。ここが、建国の始まりの地だからだ」
――あれ、わたし、今、ドラクエやってるんだっけ?
RPGの世界に紛れ込んだような用語が飛び交い、思わず混乱してしまう。
アディーラさんが解説してくれる。
「このマスマク要塞は、私達全てのサウジアラビア人にとって、特別な場所なのです。初代国王のアブドゥルアジーズ・ビン・アブドゥルラフマン・アール=サウードが、建国の狼煙を上げた場所ですから」
とても覚えられない名前の長さだったけど、”アブドゥルアジーズ”という単語には確かに聞き覚えがあった。
「”アブドゥルアジーズ”って、確か、明日の鷹狩りの大会の名前でしたよね?」
「ええ、初代国王に敬意を表して、大会のにもその名を冠しているのです」
アディーラさんが言う。
「1902年、後の国王がわずか40名の部下を率いて、ラシード家を撃退したのが、建国の始まりだ。詩人が詠む詩にも、様々な形でその建国英雄譚が歌われている」
そう言いながら、ジャイールは、分厚い木製の要塞の門の方に歩いていく。
その門に刻まれている、槍の一撃らしき痕跡を指さして言う。
「まさに、127年前、国王率いる建国の勇士たちが戦った傷跡だよ」
「え、ほ、本物なんですか?」
思わずそう漏らしてしまう。
「もちろんです」
とアディーラさんが言い切る。
日本において、”建国の痕跡”を直接見ることはできない。
それは、数千年前の出来事であり、まさに『古事記』に描かれているように、神話の世界にも等しいからだ。
だが、マスマク要塞では、建国の痕跡を、今なおこの目で見ることができる。
わたしは、過去の歴史というものが、今の自分に繋がっていくような不思議な感覚を味わった。
「さあ、行きましょう。かつて、国王とその部下が行った要塞攻めを追体験していただきます」