第111話:分割される意識
「リンちゃん、久しぶり! サウジで元気にやってる?」
夜の12時を回っていて、正直かなり眠かったけど、十萌さんの声を聞くと、やはり嬉しさと懐かしさがこみ上げてくる。
ただ、その明るい声とは裏腹に、目が心なしか眠そうにも見える。
「あれ、日本って、今何時でしたっけ?」
「今は、えっと30時よ」
――ん、30時……?
「あ、ごめん、朝6時ってこと。一昨日の朝から仕事してたから」
さらっと、ブラックなことを言う。でも十萌さんならやりかねない。
……どうやら、お互い早く用件を済ませた方がよさそうだ。
「それで早速なんですけど……」
わたしは、改めて今日の経緯を説明する。
「『意識を分ける』のはまだしも、『意識を置いてくる』ことなんて、可能なんでしょうか?」
わたしの問いに、十萌さんはあっさりと答える。
「結論だけ言えば、可能よ。それこそブレイン・マシーン・インターフェイス研究の中でも、最もホットなトピックの一つといってもいいわ」
――『ブレイン・マシーン・インターフェースとは、脳と外部機器を直接つなぐ技術のことだよ』
以前、サラがそう教えてくれた。
「アイロニクス以外にも、N社なんかが研究し続けている分野ね。日本だと2020年には、”高密度二次元電極アレイ”を差し込む方法を、東大が特許出願しているわ」
高密度二次元電極・・・・・何???
全く聞いたことのない単語に、思わず固まるわたし。
そこから10分程、説明を受けたけど、内容が専門的すぎるのと、眠すぎるのとで、正直ほとんど頭に入ってこなかった。
流石にその空気が伝わったのだろう。
――ま、細かい説明は、サラちゃんに任せるとして……と前置きした上で、十萌さんはこう言い切った。
「すごく大雑把に言えば、”脳に電極みたいのをぶっ刺せば、意識を二つに分割できる”ってことは、既に科学的に実証されているの」
――どうやら、ジャイールの言葉は、少なくても非科学的な夢物語ではないらしい。
「でも、そもそも何でそんな研究が行われているんですか?」
わたしのように、戦闘で使わなきゃいけない人はそんなには多くない気がする。
「私みたいに、自分の意識が何人分にも分けて、別々の研究をやらせたい研究者はたくさんいるだろうけどね」 十萌さんは、冗談かめかした口調で言うと、少しだけ声を落とした。
「それにここは、不老不死研究にも関わってくる。だからこそ、各国が着目しているの」
――え、不老不死研究?
唐突な言葉に、わたしは再び混乱し始める。
わたしが訊き返そうとすると、十萌さんはそれを遮るかのように、再び声のトーンを戻す。
「ここらへんは、また今後、対面でゆっくり説明してあげるわ。オンラインだと、誰が聞いているかは分からないからね」
――あ、そうか。
迂闊な自分を戒める。
今もなおわたし達は、世界を揺るがす諜報戦の真っただ中にいるのだ。
「ま、とりあえず……」
そう言って、十萌さんは、”意識のアップロード”をテーマとした、いくつかの映画やドラマのタイトルを教えてくれた。
十萌さんに別れを告げたわたしは、勧めてくれた『トランセンデンス』という映画をスマホで流しながら、ベッドに横になる。
――気が付くと、私の意識は、夜の底へと遠のいていった。
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2029年11月30日
「おはようございます」
変わらない爽やかな笑顔で、アディーラさんが出迎えてくれた。
今日は、鷹型アバターの操作練習のために、特別な場所に連れて行ってくれるらしい。
――ね、眠い。
わたしは、映画を流しっぱなしのままベッドに入ったせいか、変な夢を見続けていた。
冒頭30分ほどで寝てしまったけど、どうやらアップロードされた人格が進化して人類の脅威となる――といった話だったらしい。
車の中で、梨沙さんと堀田さんにすると、二人も『トランセンデンス』は、見たことがあるようだった。
「ま、ハリウッド映画は、すぐAIに人類を滅亡させたがるからな……」
梨沙さんが身も蓋もなく言う。
「”一生平穏無事で暮らしました”じゃ、エンタメは成り立ちませんからね」
と堀田さんも同調する。
「実際は、その平穏無事な暮らしを守ることが、なによりもドラマチックなんですけどね」
その言葉には、日々、紛争地域で命に向き合ってきた医者としての実感が込められていた。
そんなこんなで、30分ほど走っただろうか。
つい、うつらうつらしていると、車が止った。
車から降りたアディーラさんが、声をかけてくれる。
「今日は、ここで”要塞攻め”を体験してもらおうかと思います」