第110話:双頭の蛇
「目前の相手に攻撃しながら、この鷹型アバターを動かす――ということだな」
そう言うと、ジャイールは、劇場のスタッフに何かを指示する。
すぐにスタッフは、その手に4本の湾曲刀を持ってきた。
さっきの集団剣舞で使われていた、刃の部分を鈍く研いだ摸擬刀だが、それでもそれなりの殺傷力がありそうだ。
ジャイールはその内の二本を手に取り、残りの二本をわたしに持たせる。
アディーラさんがわたしに耳打ちする。
「お気を付けを。彼は剣士としても一流です」
「いくぞ」
何の前触れもなくそう言うと、ジャイールが、独特のリズムで右手の剣で斜め上段から切りかかってくる。慌てて、わたしは左の刀でそれを受ける。
同時に、ジャイールの左手の刺突がわたしの胸部を襲う。
わたしは、右の刀でどうにかそれを弾き返す。
彼は何かを詠唱しながら、両の手で剣戟を繰り返す。
二本の刀は、まるで双頭の蛇のように、変幻自在にわたしに襲い掛かってくる。
今はまだ、かろうじて受けきれて入るものの、ジャイールの連撃はその速度を増し続けている。
わたしは後ろに跳び、間合いを取り直す。
使い慣れた竹刀と違って、扱いに戸惑っていたが、ようやくそれにも慣れてきた。
わたしは、ゾーンに入るために、精神を集中する。
そのとき。
首筋にちりりと気配を感じた。
アディーラさんの腕を離れ、いつの間にか宙を舞っていた鷹型アバターが、わたしの首筋めがけて急降下してくれる。
わたしは左手の刀で、宙に向かって迎撃する。
リヤーは串刺しになる一歩手前でわずかにその軌道を変え、わたしの突きを避けると、その爪でわたしの腕をつかむ。
――しまった。誘導だ!
次に来たジャイールの左の剣戟は残った刀で受けたものの、リヤーに片腕が封じられたわたしに、彼の右の一撃を受ける術はなかった。
ジャイールが右の刀がわたしの喉元で静止する。
「参りました」
わたしがそう言うと、リヤーがわたしの腕から離れ、ジャイールの右肩に止まる。
――やはり、まだまだ雛鳥だな。
そうジャイールは言うと、こう続けた。
「一つの意識で、二つの対象を動かそうとするんじゃない。意識そのものを、二つに分割するんだ」
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2029年11月30日
わたし達がファリード王子の邸宅に戻ったときには、既に深夜零時を回っていた。
あの手合わせ後も、1時間ほどジャイールと話し込んでいたからだ。
出会った時の無関心ぶりが嘘のように、わたし達――というよりも、映像の中のおじいちゃんについて、根ほり葉ほり聞いてきた。
彼自身、今まで自分以上に脳波操作に長けている人に出会ったとはなかったという。
だからこそ、自らを大きく上回る、七種もの脳波を操っていたおじいちゃんの存在は、衝撃的だったらしい。
――そうか、やはり、もう亡くなっているのか。
おじいちゃんの葬儀のことを聞くと、落胆の表情は浮かべつつも、半ば予期していたかのように呟く。
『もしかしたら、小学生のときに受けた、熊からの傷が、脳機能に変化をもたらしたのかもしれない』って、十萌さんは言っていましたけど……。
ジャイールは、一瞬目を見開き、そして深く頷いた。
――何か、心当たりがあるのだろうか?
ジャイールからも、脳波の同時操作のヒントになりそうな情報を提供してくれた。
その全てを理解しきれた訳では決してないけれど、どうやら鍵になりそうなのは、「人の意識というのは、『分けられ』、かつ『置いて来れる』ものらしい」という彼の言葉だった。
この『分ける』というところまでは、かろうじて分かる。
右脳と左脳が別々の動きをしていると言われれば、なんとなくイメージも浮かぶ。
「意識を置いて来る」というところが、どうにも実感が湧かなかった。
もし、本当に外部に意識を置いてこれるとしたら、それは、わたしの意識であり続けられるのか?
そして、残された意識というのは、本当に自分の意識なんだろうか?
双頭の蛇は、果たしてどちらがその本体なのか?
そして、それが二つに切り分けられた場合、それぞれどんな動きをするのだろう。
何だか、哲学っぽい話になってきた。思考が、終わりのない堂々巡りになり始める。
――一人で考えても答えがでないときは、自分より賢い人に訊いてみるしかない。
そう観念したわたしは、サラに頼み、ジャイールの話の要点をまとめて、ボイスメッセージとして十萌さんに送っておいてもらう。
きっと、十萌さんなら明日の朝には、優しく解説してくれるだろう。
そう思いながら、わたしは一つ大きなあくびをし、ベッドに倒れ込む。
枕元の電気を消そうとしたそのとき、わたしのスマホが鳴りだした。
「十萌さんからのビデオ通話だけど、出る?」
サラが言う。
――え、い、今から?
メッセージを送ってから5分も経ってないのに……。
すっかり忘れていた。
十萌さんの理系女子魂は、時を選ばず燃え盛ることに。