第109話:二つの波動
「あなたには、この火龍役の男性と、同じレベルでの脳波操作が可能ですか?」
わたしの、挑戦するかのような問いに、しかしジャイールは答えなかった。
かわりに彼の全ての集中力は、画面の中の火龍の姿に注がれていた。
初めは無言だったが、やがて彼の唇から音が漏れ出した。
太鼓、三味線、笛、鈴……。恐らくは聞いたこともないはずの楽器音が、寸分の狂いもない旋律とともに発せられる。
結局彼は、火龍の舞が終わるまでの約20分間、言葉を発しなかった。
そして映像が途切れても、暫く目を閉じ、その余韻に浸っているようだった。
しびれを切らしたわたしが、声をかけようとしたとき。
突如彼は目を開け、英語でわたしに訊いてきた。
「紫の仮面の女性は君だな。で、この龍に扮している男性は、君は親族か?」
「は、はい。わたしの祖父です」
ジャイールは、わたしに向かって目を凝らす。
「なるほどな……波動の量は遠く及ばないが、質的には良く似ている」
――そういえば、おじいちゃんも、わたしと夢華が姉妹であることを、『波』が似ているからと言っていた。それであれば、彼の言う「波動」というのは、脳波という意味なのだろうか。
「君の質問は、『君の祖父と、私が同じことができるか?』ということだな?」
わたしは頷く。
「残念ながら難しいな。波動の使い方が違いすぎる」
「波動の使い方?」
「ああ、あのご老人は、君たち7人それぞれの波動に合わせ、7種の異なる波動を送り続けていた。通常の脳構造の持ち主に、そこまでの並列処理ができるとは思えない」
わたしは肩を落とした。
やはり、幼いころ脳に傷を負ったという、おじいちゃんだけにしかできないことなんだろうか。
それであれば、おじいちゃん亡き今、二度と再現は不可能ということになってしまう。
――だが……、とジャミールが続ける。
「君の質問は、恐らくその手前にあるはずだ。自分の波動を、どう、他者に伝達するのか。それが、君が知りたいことなのではないのか?」
「は、はい」
まさにその通りだった。
「わたしができるのは、1種類か、多くても2種類の波動を相手に送ることだけだ。例えば、集団剣舞では、『戦に勝利する』という意思を込めた波動を送るように」
たしかに、アル・アルドが、戦に勝つための剣舞である以上、その点において楽団全員の意思が一致しているはずだ。
「それって、相手が多人数に対してもできるものなんですか? 楽団、50人はいるみたいですけど」
梨沙さんが口を挟む。
「相手次第だ。もしその全員が、一つの意思、つまり波動に従う心理的準備ができていれば、より多人数でも問題はない。かつて、私達の祖先が、数々の聖戦に勝ち抜いてきたように」
そういって、ジャイールは、遥か過去に想いを馳せるような視線を送る。
その姿に、ふとわたしは、アラビアンナイトに登場した吟遊詩人のことを重ねていた。
「だが、逆に、そのマインドセットを持たない者が混じっていると、集団にとっては大きなマイナスになる。大きな流れに対し、逆行する者が混じっているというのだから」
ジャイールが言う。
「さっきのリハーサルで叱られてた二人は、そのマインドセットがなかったっていうことか……」
梨沙さんが突っ込む。
「ああ。本場直前に、普段のメンバーが急な事故にあってね。奴らは、代理人が慌てて探してきた代替要員さ。本来なら、本番で使うことなどまずない」
ジャイールが吐き捨てるように言う。
そこに、映写室からアディーラさんが戻ってきた。
その腕には、鷹型アバターを抱えている。
「リンさんは、目の前の相手との剣戟に集中しながら、同時にこの機械の鷹を操作したいということなんです。その方法を教えていただけますか?」
アディーラさんのお願いに、ジャイールが答える。
「つまり、”2つの異なる波動を同時に発したい”ということだな」
「できますか?」
わたしは、直截に問う。
「ああ。戦場で二つの兵団を動かすよりは、遥かに容易くな」