第107話:集団剣舞~アル・アルダ~
夕暮れに染まる赤い砂丘を、砂塵を巻き上げながら二台の4WDが疾駆する。
わたしは梨沙さんの後部座席で、危うく頭をぶつけそうになりながら、鷹型アバターを抱きしめる。
「も、もうちょっと安全運転を……」
そんなわたしの声など聞こえないかのように、梨沙さんは愉快そうに言う。
「いやぁ、一回走ってみたかったんだよなぁ。ダカール・ラリーの舞台で」
「ダカール・ラリーって何?」
わたしは舌を噛みそうになりながら、サラに訊ねる。
「ダカール・ラリーは、世界で最も過酷といわれているカーレースだよ。普通のレースと違って、砂漠や砂丘をはじめ、山岳地帯から荒野なんかのオフロードを、7000km以上を数週間にわたって走破するのが特徴なんだ」
――一歩間違えれば横転してしまう、こんな道なき道を、数週間なんて。
やはり世の中には敢えて困難を求める人たちがいるようだ。
必死にシートベルトを握りしめるわたしと違って、アディーラさんは平然としている。
曰く、「ラクダよりは揺れませんから」ということらしい。
アディーラさんの指導のお陰で、日暮れごろになって、ようやく鷹型アバターを、何とか動かせるようになってきた。
ただ、鷹を操りながら接近戦を行うのは、決して容易ではなかった。
なんせ、右目で目の前の敵が、左目のスカウターには空から俯瞰の景色が映っているのだ。
右脳と左脳がこんがらがり、どうしても剣戟が数テンポ遅くなっていまう。結果、剣も鷹の両方とも、梨沙さんに余裕で避けられてしまう。
もともと、攻撃力を倍化させたかったのに、これでは本末転倒だ。
その悩みをアディーラさんに伝えると、彼女は思案気に押し黙る。
よく考えれば、いくら鷹狩りの才能があっても、剣技については未経験なはずだ。聞かれても困ってしまうだろう。
――変なこと相談してごめんなさい。
そう、声がけするよりも早く、アディーラさんが閃いたかのように手を打った。
「もしかしたらお力になれるもしれません。お連れしたい場所があるんです」
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アディーラさんに連れられた”劇場”は、何とも形状しがたい外観だった。
なんて言うか、急流で丸みを帯びた石を数十メートル位に巨大化させ、それを組み合わせたような、見たこともないような外観だ。
「明後日の”鷹狩りの祭典”に向けて、ここでアル・アルダのリハーサルが行われていることを思い出したんです」
「アル・アルダ……って何ですか?」
「サウジアラビアの伝統的な集団剣舞です。もともとは、戦士たちが士気を高めるために行われていたものです」
警備員に、アディーラさんが何か声をかけると、彼は慌てて奥へと走っていった。
そして、劇場の責任者らしき人を連れてくる。
「この劇場の支配人です。ファリード王子からお話は伺っております。どうぞこちらへ」
最敬礼せんばかりの対応に、王子の地位の高さを改めて実感する。
劇場の内部に入ると、真っ赤なシートが中央の舞台に向かって同心円状に並んでいた。
舞台の上には、踊り手たちが3~40名ほど集まっている。
それぞれの手に握られている、緩やかに湾曲した刀が、舞台のライトを反射して光を放つ。
――本当の戦の前みたいだ。
わたしは、張りつめた空気に思わず身震いする。
「アル・アルダでは、ダフやタール、シェイブといった様々なドラムが使われるんです」
舞台の左右には、様々な形状をしたドラムや打楽器を持った団員が控えている。
支配人が、アラビア語で声を張り上げる。
すると、舞台のそでから一人の男性が現れた。
「彼は、詩人です。詩の歌い手であるとともに、オーケストラでいう指揮者のような役割も果たします」
彼は、最前列に座った私たちを一瞥する。
190cm近い長身で、整った容貌と深い琥珀色の瞳は、いつかどこかで見た彫刻のようだ。
何より、そのカリスマ的なオーラが、わたしたちの視線を捉えて離さない。
彼はゆっくりと周囲を見回し、太鼓奏者たちに向けて目線で指示を出す。
ドン、ドン、ドン……。
低く響く太鼓の音が劇場に響き渡る。まるで大地が鼓動を始めたかのようだ。
詩人は一歩前へ進み、劇場の天井にまで響き渡るような、力強い声で詩を歌い始めた。
「يا رياح، احملي صوتنا. يا سيوف، احكي فخرنا.」
「風よ、我らの声を運べ。剣よ、我らの誇りを語れ」
アディーラさんが、わたしのために同時に朗読する。
わたしの全身を、鳥肌が貫いた。
はじめの一小節だけで理解できた。旋律も、声色も、声量も、その全てが完璧で、まるで脳に染み入るような感触だ。
それに呼応するかのように踊り手が声を上げ、独特のリズムに合わせて剣舞が始まった。
複雑なリズムなはずなのに、鋭く振り下ろされた剣と多彩な太鼓のリズムが見事に調和する。
「あの詩人、すごい……。この場を支配している」
ようやく我に返ったわたしが、思わず感想を漏らす。
「ええ、彼は、ジャイール・ビン・アブドゥルカリーム。詩人としてはまだ若い30代後半ですが、既にこの世界で最高の歌い手の一人と言われています」
アディーラさんが微笑む。
やがて、舞台袖から、もう一人の男性の歌い手が現れる。
もちろん上手いのだけれど、その歌にはジャイールほどの衝撃はない。
恐らく、ジャイールが全体をリードし、もう一人がそれに合わせて掛け合っていくという構成なのだろう。
二人の詩の応酬が進むにつれ、会場の空気が、本当の戦の前のような一体感と、奇妙な高揚感に包まれてゆく。
「リンさんの脳波の話を聞いて、彼のことを思い出したんです。ジャイールは恐らく、その詩歌を通して、脳波に近いものを発することで、楽団全体を統率しているのだと思います」