第106話:遊牧民
「その鷹が発する”波”って、サウジアラビアの人はみんな感じられるんですか?」
――”脳波操作”の基本は”波を感じ、操作する”ことだ。あの夢華でさえ習得に苦戦していたその技術を、もし自然に身に着けているとすれば驚きだ。
わたしの問いに、アディーラさんは首を振る。
「都会に住む人にとっては難しいようです。ただ私は、物心ついたころから、砂漠で鷹と一緒に住んでいましたから」
「へぇ。詳しく教えてもらえるかな?」
梨沙さんが興味深そうに訊ねる。
「私たちの一族は、代々鷹匠を営む”遊牧民”でした。私たちにとって、鷹というのは、砂漠での生存のために欠かせない仲間だったのです」
――ベドウィン?
わたしは聞き返す。
堀田さんが同調する。
「遊牧民のことだよ。今でもサウジの人口の5%から10%くらいが遊牧民として、砂漠地帯に住んでると言われているんだ」
「ええ。その通りです。食糧の少ない砂漠地帯では、鷹は小動物を捕獲したり、砂漠で迷った同胞を見つけるための大切な存在です。わたし自身、子どものころは何度も砂漠で迷って、この鷹たちに助けてもらったものです」
そう言って、ワミードの毛を優しく撫でる。
「なるほどね……。生死がかかっていたら、そりゃ敏感にもなるよな」
梨沙さんも納得したように頷く。
「はい。ただ、一族の中でも、私は特に鋭敏だったようです。私の部族では数十の鷹を飼っていましたが、ほとんど目をつぶってても、どの鷹がどこにいるのか分かりましたから」
――確かに、アディーラさんはリヤーが鷹型アバターだと、瞬時に見抜いていた。
さすが、世界大会で優秀するだけの才能だ。
「いい先生が見つかったみたいだな」
そう笑いながら、梨沙さんは、脳波操作用のVRスカウターを2つ取り出した。
「近距離戦闘はわたしが教える。だから、鷹型アバターの操作はアディーラさんに頼むといい」
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アディーラさんの脳波操作は、天賦の才ともいえるものだった。
まずは、おじいちゃんとわたしたちが演じた”火龍の舞”の映像を見せながら、ゾーンとフローへの入り方と、脳波によるアバター操作の方法を伝える。
すると、アディーラさんは、ものの1時間もせずに鷹型アバターを自在に動かし始めた。それも、わたしよりも遥かに上手く。
「これ、面白いですね」
そう笑って、リヤーとワミードと追いかけっこをし始める。
ワミードが上昇し、旋回し、急降下するのに合わせ、リヤーも同じ動きをする。
何だか、高度に訓練された戦闘機の飛行訓練を観ているようだ。
わたしは、試しに、リヤーの視界を、わたしの左目のVR機器に同期させてみる。
「は、速っ!」
――あまりの速度に、脳が反応しきれず、思わず左目を閉じる。
「鷹の最高飛行速度は、時速390kmを超えるんです」
アディーラさんが言う。
「新幹線より早いってことだな。ま、戦闘機よりも遅いから安心しな」
そう言って、梨沙さんは笑う。
「え、梨沙さん、戦闘機、操縦したことあるんですか?」
「いや、せいぜい救助用の輸送ヘリくらいだよ。そもそも戦闘機は、航空自衛隊の乗り物だからな。ま、でも世界が危機を迎えるってんだから、風間さんに一機おねだりしてみようかな」
わたしは、サラにファルコンとかいう戦闘機の値段を聞いてみる。
――1機。70億円。
おねだりにしては度が過ぎる。
「いずれにせよ、慣れってやつだよ。自転車も、車もそうだったろ。始めは速いと思っても、脳はいずれ適応するもんだ」
梨沙さんにそう言われて、わたしは再び左目を開く。
風の視界が、わたしの左目に宿る。
蒼空に向かって羽ばたいたかと思うと、赤い砂丘へと急降下する。
地面すれすれを低空飛行し、4WDの車の屋根で羽を休める。
確かに、速度と高度に慣れれば、むしろワクワク感が勝る。
子どものとき好きだった、ジェットコースターに乗っている感触だ。
わたしは、遥か上空から、砂漠に立つ自分自身を見つめる。
――もしかして、これが天国からの視点だろうか。
おじいちゃんの面影を思い浮かべながら、わたしは乾いた頬をわずかに湿らせた。