第105話:光に浮かぶ帆船
リヤドに戻る車の中では、なぜかアニメトークが花開いていた。
心を開いてくれたらしいファリード王子が、突如、そのアニメ愛をむき出しにしてきたからだ。
星が王子に「好きなアニメは?」と訊ねると、それこそ滝のように、その口からタイトルがあふれ出てくる。
それこそ『もののけ姫』のような王道作品から、最新クールの作品まで幅広く抑えている中で、面白かったのが『UFOロボ グレンダイザー』を挙げてきたことだった。
1975年に放映された、永井豪原作のこのアニメは、あの『マジンガーZ』のシリーズ作として、日本でも当時人気を博したらしい。
さすがに2010年生まれのわたしは、名前しか聞いたことはなかった。
……けど、わたしをアニメ沼に引き込んだ、いわば師匠格の星は、さすがに全74話を観ているらしい。
この『グレンダイザー』はサウジで爆発的な人気を誇り、リヤドには、なんとギネス世界記録にも認定された、全長33メートルの彫像まであるらしい。
「王子は、『グレンダイザー』のどこらへんがお好きなんですか?」
星がそう訊ねると、ファリード王子は妙にしんみりと答える。
「主人公の”亡国の王子”っていう設定が、また響いてね」
――まさか放映後50年以上経って、遠い砂漠の国の王子の共感を得ているなんて、当時の制作陣は予想しただろうか……。
あっという間に時は過ぎ、エッジ・オブ・ザ・ワールドからリヤドに戻ったころには、既に完全に夜が更けていた。
車から出ると、思わず外の冷気に身震いする。
「夜は結構、冷えるんですね」
アディーラさんに言うと、彼女も頷く。
「ええ。砂漠の国というと、年中暑いと思われがちだけど、冬の砂漠は逆に夜が冷えるの。リヤドはまだ10度くらいだけど、エッジ・オブ・ザ・ワールドは、0度以下にまで下がるわ」
――そうか。つまり、氷点下の世界を彼らは既に知っているのだ。
だからこそ、氷河期の危機に敏感なのかもしれない。
「リン、見てごらん」
星が声をかけ、視界の先を指さした。
「わぁぁぁぁ」
わたしは思わず嘆声を漏らした。
そこには、首都リヤドの夜景が広がっていた。
オレンジ色の光の海の中に、青や緑の蛍光色の高層ビルが、まるで帆船のように浮かんでいる。
人を拒絶する”世界の果て”から戻ってきたからこそ、この光がとりわけ胸に染みてくる。
「これが、砂漠を一歩一歩切り拓いてきた世界なんですね」
わたしがそう呟くと、王子は力強く頷いた。
「守り抜いて見せる。この輝かしい都市を、氷河の災厄から」
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2029年11月29日 サウジアラビア
11月29日と30日の二日間は、創さんと星とは別行動となった。
リヤドから約650km先の、シュカイクと呼ばれる沿岸都市を訪問するためだ。そこに、サウジアラビア最大の海水の淡水化プラントがあるという。
一方で、わたしは、梨沙さんと堀田さんとともにリヤドに残ることにした。
12月1日に控えた”鷹狩りの祭典”に向けて、アディーラさんの特訓を受けるためだ。
"Red Sand Dunes"と呼ばれる砂漠地帯は、リヤドから1時間ほどの場所にあった。
その名の通り赤茶色の砂の色が特長で、ここでしばしば鷹狩りの練習が行われるという。
「これ、預かってきたよ」
梨沙さんはそう言って、さっそく砂埃をかぶり始めた籠の中から、鳥のような物体を取り出す。
見かけは、直径30cmほどの鷹そのものだ。
だけど、そのふさふさの羽毛の下には、精密な電子のボディーが隠れている。
脳波連動の鷹型アバターだ。
「こいつのこと、哲が、”رياح(リヤー)”と名付けたんだ」
梨沙さんは、いつの間にか、堀田さんのことを呼び捨てにしている。年齢的にも、性格的にも、弟みたいな位置づけらしい。
アディーラさんが、「”風”って、素敵な名前ですね」と微笑む。
堀田さんは照れながら言う。
「”疾きこと風の如く”っていうメッセージを込めてね。まあ、アディーラさんの鷹が閃光だから、光までは速くはないかもしれないけど」
アディーラさんが感心したように言う。
「へえ、よくできてますね」
そういながら、首元を触ると、リヤーはわずかに体を震わせ、気持ちよさそうに目を閉じた。
「ああ。脳波連動していないときは、なるべく本物の鷹と同じような反応をするようにプログラムされているんだ。最新のロボティクスを使ってね」
梨沙さんが得意げに言う。
”キー! キー、キー!!”
その時、空からワミードがアディーラさんの肩に舞い戻り、警戒を煽るような声を上げ始める。
――どうやら、ワミードにはリヤーの正体が分かっているみたいだ。
アディーラさんは何やら呟き、落ち着かせる。
「やっぱり、同じ鳥同士には分かるんですね。本物かどうかが」
「ええ、人間の中にアンドロイドが混じっていたら、さすがに気づくのと一緒です。機械には、生物の持つの”生々しさ”がありませんから」
「生々しさ……って、匂いとか?」
梨沙さんが喰いついてくる。自信作の鷹の正体が、瞬時にバレたのが悔しいのかもしれない。
その問いに、アディーラさんは、少し考えながら言う。
「それもあります。ただ、それよりも……。英語では"vibes"……いや、"waves"とでも言えばいいんでしょうか。本来鷹から発せられるはずの”波”がアバターからは感じられないのです」
――”波”。
まさか遠い異国の砂漠で、再びこの言葉を聞くとは思わなかった。
天国のおじいちゃんが遺した言葉が、脳裏をよぎった。
『人も動物も鳥も木も、生きとし生けるものは全て、それぞれに波を発している』