第101話:王国への招待
2029年11月27日 エジプト・カイロ
2日間のアフリカ連合会議を終え、エジプトに戻ってきたわたし達を待っていたのは、思いもよらぬ招待だった。
御堂大使が、丁寧に蝋印された手紙を見せながら言う。
「中東のサウジアラビアのファリード・ビン・ナワーフ王子より、七海教授、星さん、リンさんをぜひ自国にご招待されたいとの連絡を頂いています」
「お、王子、ですか……?」
――正直、中東の王子と言われても、幼いころ絵本で見た『千夜一夜物語』のキャラしか思い浮かばない。
「ええ、サウジアラビアには多くの王族がいらっしゃいます。ただ、その中でもファリード王子は改革派として有名で、開発投資にも積極的な方です」
御堂大使の言葉に、アニメオタクの星が、興奮したように言う。
「確か、日本のアニメもお好きだとか」
「はい、お忍びで日本に行かれたこともあったようです。ま、お連れの人数が多すぎて、結局お忍びにはならなったようですが……」
堀田さんが言う。
「中東において、サウジアラビアは非常に重要な国だ。更に王族からの直接の招待となれば、国際関係にも影響する。ぜひ、招待を受けてほしい」
「星はどうするの?」
「僕はお父さんと一緒に行くよ。特に、あの国には、世界最大の海水の淡水化施設がある。風間首相の計画を実現するためにも、ぜひこの目で見ておきたい」
「あの……テロとか、紛争とかは大丈夫なんでしょうか……?」
わたしは堀田さんに訊ねる。
――中東と聞くと、どうしてもそのイメージが強い。
友達はたぶん、心配するだろう。
堀田さんが、真剣な表情で考えながら答えてくれる。
「中東の中で言えば、サウジアラビアはかなり安全な方だよ。普通の行動をしていれば、まずトラブルには巻き込まれることはないと思う。ただ、テロ組織がないわけではない。以前も過激化によって、石油施設が攻撃されたこともあった。だから……」
――ここが堀田さんのいいところだと思う。
大使館員としての計算はもちろんあるけど、その根本の行動原理には、個人としての正義感や責任感が根差している。不器用なところはあるけど、そこに反することはできない人だからこそ、信頼ができる。
梨沙さんが、どこか楽しそうに言う。
「そうだな。治安面だけでなく、文化的にも配慮しなければいけないところは多い。王族と会うなら、いろんな外交辞令や、宗教に関する知識も必須だからな。麻薬は極刑だし、お酒も厳禁だ。そこらへん、前回のエチオピア訪問みたいに、集中的に叩きこまなきゃな」
堀田さんも乗ってくる。
「そうなんですよ。やっぱり、最低限、歴史とコーランの基礎知識がないと……」
やり取りを見守っていた創さんが、堀田さんに声をかける。
「堀田さん、よろしければ、今回のサウジ訪問にも、改めてご同行してくれませんか?」
「え、僕も、一緒に行ってよろしいんですか!?」
堀田さんが上司の御堂大使を見る。
御堂大使も頷いた。
「もちろんです。ご存じの通り、エジプトとサウジアラビアは、”ビジョン2030”を機に、急速に関係性を深めている。それに、あなたの中東の知識とアラビア語力が役に立つこともあるでしょう。まあ、医療の腕の方は、使わないに越したことはありませんがね」
わたしも続ける。
「わたし、アフリカ連合会議では、何にもできませんでしたけど……。でも、堀田さんの事前のレクチャーのお陰で、”自分が何を知らず、何を知るべきか”を、知ることができました。同行してくださるなら、とても心強いです」
堀田さんが照れくさそうに頭を掻く。
副大使が肩を叩く。
「不在の際の仕事は任せろ。ただ、成長して帰ってきたら、倍の仕事を与えてやるから」
場が、和やかな笑いに包まれる。
こうして、わたし達のサウジアラビア行きが決定した。
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2029年11月28日 サウジアラビア キング・ハリード国際空港
「な、なにこれ……」
飛行機の窓から広がるあまりに広大な人工物に、わたしは思わず嘆息する。
まるで、砂漠に描かれた地上絵だ。
「キング・ハリード国際空港は、総面積375平方キロメートルあるんです」
王族専用というプライベートジェットの豪華な椅子に座るファリード王子は、流暢な英語で教えてくれる。
「375平方キロメートル……ってどれくらいだっけ?」
単位が大きすぎてイメージが沸かないわたしは、星に尋ねる。
「東京23区の面積が、627平方キロメートルだから、その半分以上だね」
――てっきり東京ドーム何個分、みたいな答えが返ってくるかと思ったけど、まさか23区が単位になるとは……。
「それであれば、東京23区は、ダンマームのキング・ファハド国際空港空港の中にはすっぽり収まりますね。あそこは、776平方キロメートですから」
金糸と銀糸が施された美しい頭布の下から覗く、大きな両眼が、誇らしげにキラリと光る。
洗練された英語を話し、まだ若いようにも見える。けど、彫りが深い顔立ちに豊かな顎鬚、なにより知性と威厳に満ち溢れたその態度が、いい意味での年齢不詳感を醸し出している。
「王子って、何歳なんですかね」
堀田さんにこっそり訊ねてみる。
「落ち込むよな……。あのオーラで俺と同じ年なんてさ」
聞けば堀田さんと同じ、まだ28歳らしい。
――ピラミッドでわたしたちを見ていたのは、このファリード王子本人だった。
梨沙さんと星は薄々感付いていたようだけど、わたしにとっては想像さえもできない人物だった。なんせ、人生において王族に会ったことなど一度もないから。
まあでもそれなら、相当高位のエジプト軍人が同行していたり、七人もお付きの人が同行していたのも頷けなくはない。
ただ、肝心なのは、なぜ彼がわたし達を見張っていたのかということだ。
本人曰く、”エジプト政府との共同の観光のプロジェクトのためにピラミッドを視察してところ、偶然わたし達と通りすがったので、身の安全を守るためにウォッチしてくれていた” らしい。
――その言葉をそのまま受け取ってもいいものだろうか。
正直、良く分からないけど、少なくても初対面の王子に真偽を問い詰める勇気は、わたしにはない。
「そろそろ着陸いたします」
機長のアナウンスとともに、飛行機が降下を始める。
そしてわたし達は、巨大な地上絵の中へと降り立って行った。