第100話:ガーディアン
「つまり、各国が、海外からの移民を多く受け入れれば受け入れるほど、払うべき債務は減るという仕組みです」
創さんの言葉に、奇妙な沈黙が議場を覆った。
参加国の誰もが、この条件が一体何をもたらすのか、思案を巡らせているようだ。
堀田さんが言う。
「本音で言えば、移民はどこの国も受け入れたくはないはずだよ。でも、日本案なら、今まで河川から得られていたのとほぼ同量の真水が手に入る。更に移民を受け入れれば、淡水化プラントの所有権を自国で手に入れられるとなると話は違ってくる」
画面を見つめながら、感慨深げに呟く。
「まさか、こんな解決案があるなんて、思いもよらなかったよ。正直、生まれて初めて、日本の総理大臣を尊敬できそうだ」
相変わらず歯に衣を着せぬ言い方だけど、感動したのはわたしも一緒だった。
それぞれの国での葛藤はあれど、明らかに、会議が始まる前の葛藤とは異なっていた。
今までは、”限りある河川の水を、どう奪い合いあうのか”だったのが、これからは、”自分たちがどう水資源を管理するか”という議論に変わっていた。
画面越しの風間首相は、満足気に議場の様子を見つめていたが、やがて口を開いた。
「近代のアフリカの歴史は、良く理解しているつもりです。だからこそ、今度こそ、お互いが望む形で手を取り合い、共存できることを切に願っています」
そのとき。
議場に一羽の鳥の影が舞った。
――あ、あれは?
議場を飛び回るその鳥をみて、エチオピアの一団がざわめく。
光沢を放つエメラルドグリーンの体毛に、羽を彩る鮮やかな赤、そして頬の新雪のような白が印象的な、30cmほどの鳥が、みんなの視線を奪う。
「星、あれって?」
「White-cheeked Turaco、日本名ではホオジロエボシドリだよ。このエチオピアを中心とした周辺国の高原でしか見られない、貴重な固有種なんだ」
――高原の鳥が、なぜこんなところに?
全く同じ疑問を、議場の全員が頂いていたはずだ。
窓はあるとは言え、こんな都会の会議場に、鳥が紛れ込むこと自体が極めて珍しい。
その鳥は、暫く議場を旋回したのち、檀上ではためくアフリカ連合の旗竿の上に止った。
光沢のある緑の旗と、その鳥の燃える炎のような赤い羽根は不思議なほどにマッチしていた。
画面の向こうの風間首相が、穏やかに訊ねた。
「タメル首相。そのWhite-cheeked Turacoは、世界の鳥愛好家が夢見る、神秘的な鳥です。貴国において、どういった存在なのか、教えていただけますか?」
タメル首相は、意図を探るような視線を画面に送ったが、やがてこう答えた。
「この鳥は、我が国においては、生物多様性を象徴する存在です」
風間首相は頷きながら、重々しい口調で語り始める。
「今後訪れる自然環境の厳しさは、想像を遥かに超えるものです。数十万年前、人類の祖先が、このアフリカの大地に生まれて以来の危機だと言ってもいい。あらゆる国が多様性を重んじ、協力し合わなければ、人類の種としての生存さえ危ぶまれます」
「――ですが!」
その一言に力を籠め、声のトーンが次第に高くなる。
「今、この時こそが世界の分岐点なのです。人類発祥の地に生きる、誇り高き皆様とであれば、新しい世界を共に切り拓けると私は信じています!」
その宣言に呼応するかのように、“環境と調和の象徴”たる神秘の鳥が、風間首相の映像の前を飛翔する。
「私達日本国政府は、そのための最良のパートナーであり続けることを、アフリカ連合国旗と、この美しい鳥に誓います」
風間首相の宣言に、会場が割れんばかりの拍手に包まれた。
近代において、「後進国」「被支援国」としての地位に甘んじていたアフリカ諸国が、再び世界の中心となる――。そんな誇りに満ちた空気が、会場に満ちていた。
堀田さんなんて、感動で潤む瞳をぬぐおうともしていなかった。
こうして、アフリカ連合会議の1日目は幕を閉じた。
最終日である二日目は、今日の風間首相の話を軸に、より具体的な議論が交わされていくことになるだろう。
**********
会場から出たころには辺りはすっかり暗くなっていた。
ホテルへと変える車の中で、わたしは梨沙さんに聞いてみる。
「あの鳥、いつから仕込んでいたんですか?」
鈍いわたしでも私でも、さすがに気が付いていた。
あのタイミングで鳥が議場に紛れ込んだのは、偶然にしては、いくら何でも出来すぎていることに。
「あれって、脳波で操作した鳥型アバターですよね?」
梨沙さんは、平然と答える。
「ああ、あれな。よくできてただろ? アフリカ会議の開催が決まってすぐ発注したとはいえ、かなり短納期だったから、大分メーカーには無理してもらったよ」
そう言って、タブレットを開き、あの瞬間の画像を開いてくれる。
そこには、狙いすましたかのようなアングルで、アフリカ連合国旗と、そこに向かって羽ばたくホオジロエボシドリ、そして中央の画面の向こうの風間首相の姿が映っている。
「ま、劇場型政治の薫陶を受けた風間さんっぽい演出だよな。わざわざあのタイミングで、エチオピアの象徴みたいな鳥を飛ばして見せるなんてね。ただ、そのおかげで、今日のニュースの一面は、この画像付きの記事が飾るだろう。今日の日本の発表が、あたかも”全アフリカから好意的に受け入れられた”というトーンの記事がね」
そう言って、梨沙さんは笑う。
「政治って、そんなものなのかな?」
ちょっと、演出しすぎな気がして、わたしは隣の星に訊く。
「まあ、ヒットアニメだって、ストーリー性だけじゃなくて、象徴となるビジュアルの演出も重要じゃない?」
――そう言われれば。
メインとなる画像は、そのアニメに関心を持ってもらうための、最も重要な要素の一つだ。
文字だけのお堅い記事は敬遠しがちでも、この”計算された奇跡の一枚”で、今日のできごとに興味を持ってくれる人はいるだろう。
まあ、それならそれでいいのかもしれない。
何と言っても、情報が溢れる現代社会では、注目を浴びること自体が難しいのだから。
――そういえば、最近、アニメ新番、追えてないな。
わたしはそっとアプリを開き、ダウンロードしてきたお気に入りのアニメをクリックする。
こうして、エチオピアの夜は更けていった。