第13話 デクロワゾー領
私は朝から気分が浮き立っていた。
何しろ今日は、エスメラルド殿下が初めて我がデクロワゾー領にやって来る日なのだ。
ついそわそわしてしまう私の髪を、隣に座る長兄のラズライトお兄様が苦笑しながら優しく撫でる。
「心配しなくても、領に入れば魔術で報せが来るからすぐに分かるよ」
「そうなんですが、待ちきれなくて…」
ラズライトお兄様は私より6つ上の19歳。学院卒業後、将来の領主として領で実務に携わっている。
おっとりとした優しい性格で、周りから口々に「母親によく似ている」と言われる私よりも、よほど母に似ていると私は思っている。
ちなみに次兄のティロライトお兄様はお父様似の楽天家だ。今は王立学院に在籍中なので、冬休みまでは戻ってこない。
前世では幼い頃から別々に暮らしていたので二人とも特別親しくはなかったが、今世では妹としてかなり可愛がってもらっている。
非常に照れくさいが、悪くない気持ちだ。
さて、なぜ殿下が我が領に来るのかというと、視察のためだ。
12歳を越えた王子は、一歩大人に近付いたとして城の外に出る機会が増える。その最大のものが国内を回る視察だ。
社交シーズンが終わり、貴族の大部分が各領地に帰る秋頃に王都を出て、一ヶ月ほどかけていくつかの領地を回るのが通例となっている。
エスメラルド殿下は今年で13歳、これが二度目の視察だ。
視察先は権力が強かったり生産物の重要性が高い領が優先されるが、うちの特産は珍しい果物や豆、鉱山から採れる宝石類など。重要性は低い。
通り道にあるならば一泊していくことはあるが、我が領はヘリオドール国の東端にあるので、通り道にはまずならない。
なので王子の視察先には選ばれにくい我が領だが、今回は殿下の「デクロワゾー侯爵領の自然や生き物を見てみたい」と言うたっての願いで視察先の一つに入る事になった。
実は去年も希望したが却下されており、今年こそはと何とか入れてもらったらしい。
殿下からは「とても楽しみだ」という手紙が来ていて、私も「しっかり殿下にここを見ていただこう!」と気合を入れていた。
前世では5歳の時に従者として城に入り、デクロワゾー領には年に一度数日間ほどしか戻らなかった。
だからそれほどの愛着は持っていなかったのだが、リナーリアである今世ではずっとここで育ってきた。
領内に関しては前世よりもはるかに詳しいし、愛着も深い。
ちなみにこの領は以前、全く違う貴族が治めていた地だったが、ある時罪を犯し爵位と領地を没収される事になってしまった。
代わりに誰かを配置しなければならないが、このような海沿いの領は貴族からは人気がない。
王都から遠い上に、海から大量に魔獣が湧き出す「魔獣災害」と呼ばれる現象が起きた時、真っ先に危機に晒されてしまうからだ。
しかも当時この周辺は、開発があまり進んでおらず貧しい土地だった。
そこで、ちょうどこの地での戦いで手柄を立てたばかりだった我が家が新領主として抜擢されたのである。
侯爵位をもらえたのも、手柄のおかげというよりは土地の広さに見合った爵位を与えなければという都合のためだったのだろう。
うちが侯爵位の割に新参貴族と軽視されやすいのは、この辺りの事情も関係している。
だが意外な商才を発揮した初代侯爵とその後継達によって領は豊かになったため、領民たちからは結構慕われているようだ。
殿下ご一行が屋敷に到着したのは、午後になってからの事だ。
馬に乗った騎士2人と、長距離用の馬車が3台。馬車はそれぞれ、王子と従者が乗っているもの、護衛たちが乗っているもの、その他荷物などを載せているもの。
できるだけ少人数にするため、護衛は少数精鋭だ。
馬車から降りた殿下をお父様とお母様が迎え、丁寧に礼をして挨拶をする。
「殿下。我がデクロワゾー侯爵領によくいらっしゃいました」
「うむ。しばし世話になる」
うなずいた殿下は、少し後ろにいた私と兄の元に歩み寄った。
「リナーリア、ラズライト。久しぶりだな」
「お久しぶりでございます」
まあつい1ヶ月ほど前には王都で顔を合わせていたので、言うほど久しぶりでもないのだが。
私はすでに貴族間で王子の友人として周知されているが、今のところ特に問題にはなっていないので、城通いの頻度は結構高い。
ちなみにお兄様は家の跡取りとして、幾度か面識がある程度だ。
「明日はよろしく頼む」
「はい」
お兄様と声を揃えて答える。視察の案内は主に私と兄とで行うことになっているのだ。
デクロワゾー領への滞在は3泊、明々後日の朝には発つ予定だ。
お母様が屋敷の玄関の方を示す。
「皆様お疲れでしょうし、どうぞ中へ。短い間ですが、ごゆっくりおくつろぎ下さい」
10分ほど後、私の部屋の扉がノックされた。
「失礼します」と言って入ってきたのは、私付きの使用人であるコーネルだ。
「ただいま王子殿下にお茶をお持ちしたのですが、良ければお嬢様もお部屋に来られないか?とのことです」
タイミングを見てこちらから訪問するつもりだったのだが、先に呼ばれてしまった。
ちょっと嬉しくなりながら、私は「分かりました」と言って立ち上がった。
「…いかがですか、デクロワゾー侯爵領は」
向かいに並んだ一人がけソファには、それぞれ殿下とスピネルが座っている。
護衛は扉の外にいるので、今部屋にいるのは私達3人だけだ。
「もっと緑にあふれているのかと思ったが、意外に岩場が多いんだな」
「そうですね。場所によってかなり様子が変わります」
この屋敷に着くまで、殿下一行は道すがら軽く領内の様子を見てきている。
領の自然を再現した王都の屋敷の庭は草木が茂っていたので、ごつごつした岩山などは意外だったらしい。
「それに、本当に山から煙が出ているんだな。話には聞いていたが驚いた」
デクロワゾー侯爵領には火竜山と呼ばれる火山がある。
はるか昔、古代神話王国の時代には竜が棲んでいたという山だ。いつもいくつかの噴煙が立ち上っており、時折周辺に灰が降ることもある。
竜がいた頃には大規模な噴火もあったと言われているが、ここ千年以上、わずかに噴石が落ちる程度のごく小規模な噴火しか起こしていないらしい。だからここには人が住めているのだ。
「火竜が死ぬ間際に、あの山の奥深くに決して消えぬ炎を放ったのだという言い伝えがあります。あの煙はその炎が噴き出ているものだと。また、その炎が地の下を伝うためにこのあたりには温泉が多いのだとも言われています」
「火竜の伝説だな。俺も読んだことがある」
火竜の伝説は、この国ではメジャーなおとぎ話の一つだ。
人々を苦しめる邪悪な火竜が、邪を払う光を放つという魔剣を持った剣士に退治される物語。
しかし、火竜は死の間際に山の奥深くへと炎を吐き、さらにこの島を囲む海へと呪いを撒き散らした。そのため、海から魔獣が現れるようになったのだ…というお話だ。
竜と呼ばれる存在がかつて火竜山にいた事自体は間違いないらしく、周辺地域には他にもいくつか民間伝承が残っているが、人を騙し陥れる邪悪な竜だったというものがほとんどである。
「明日は火竜山の麓にもご案内する予定です。足だけですが、湯に浸かれる温泉もありますので楽しみにしていて下さい」
「地面から湯が出るなんて不思議だな。風呂を沸かす手間が省けそうだ」
そう言ったのはスピネルだ。
お前は風呂なんて沸かした事ないだろう。私もないが。
「言っておきますけど、そこらで温泉を見かけても飛び込んだりしないで下さいよ。毒が混じっている場合もありますし、人が触れられる温度のものは極稀で、大抵はすごく熱いんです。身体が溶けても知りませんよ」
「しねーよ。お前じゃあるまいし」
「は?なぜ私が?」
「お前ならやりかねない」
「するか!」
「大丈夫だ、リナーリア、スピネル」
私達のやり取りを横で聞いていた殿下がうなずいた。
「もしお前達が飛び込んで溶けたとしても、ちゃんと俺が助けて骨を拾おう」
「いや死んでるよなそれ!?」
「いや死んでますよねそれ!?」
私とスピネルの声が重なった。